「最初で最後と思った旅行で
人との出会いと旅にはまった」
ボンズホーム
小川佳彦さん | 大阪府出身。知床に移住した当初は山間の静かな場所で暮らしたいと考えていたが、1989年に縁あって現在のバスターミナル近くに宿を開業。併設しているレストランをほぼ通年で営業しているためあまり自由になる時間がないが、合間を見て「趣味以前のレベル」で夕日や流氷などを撮影することも。流氷の季節と新緑が美しい6月が好き。 |
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特に旅好きではなかったが、高校の卒業旅行で訪れた知床のユースホステルで初対面の人たちと過ごす楽しさを知り、同地での宿開業を決意。知床で暮らしはじめてからは、レンタルバイクやスノーモービルの体験ツアー、知床半島の自然を海からゆっくり見るネイチャーウォッチングボートなどの事業を展開し、現在は民宿とレストランを営む。知床は、観光スポットのみならず移動途中の景色が素晴らしいのでぜひゆっくりしっかり見てほしいと語る。
名物は地元産の
越冬ジャガイモを使った料理
―約半年間低温で熟成させたメークイン、「知床栗じゃが芋」を使ったお料理を宿と併設のレストランで出していますよね。このおいもはどうやって見つけたんですか?
小川
30年ぐらい前、店をはじめて間もないころに、メークインを越冬させたら甘くなると言って農家をしていた友達がうちに来たんですよ。いまでこそ越冬野菜はわりと手に入るけど、当時は全くなかった。食べてみたら、こんなジャガイモがあるんだってびっくりして。それで、これをメインにしようということになったんです。
―名前は、その農家さんがつけたんですか?
小川
うちでつけました。その越冬ジャガイモの料理はうちでしか食べられなかったんだけど、お客さんは「『北海道の』ジャガイモはおいしいね」って、そういうふうに思う人が結構多くて。それでほかのジャガイモと区別するために「栗じゃが芋」っていう名前をつけたんですよ。ただ、だんだん似た名前のジャガイモが増えてきて、それで「知床」をつけたんです。最初はあんまりお客さんもいなかったし、知床栗じゃが芋の名前も知られていなかったから、使っていたのは年間300キロくらいだった。
―ちなみにいまは年間何キロくらい使っているんですか?
小川
宿とレストランで使うのが1トンちょっと。
―すごい!
小川
ほかに直送販売もしているから、それも含めると年間うちで使ってるのは、全部で8トンくらいかな。
―おお…。すごいですね。
小川
栗じゃが芋のほかに、冬はGABA(自律神経を整える効果が期待されるアミノ酸の一種)を多く含んでいる紅男爵芋を使ってます。糖度で言うと、リンゴは13度くらいなんだけど、うちの2種類の越冬ジャガイモはどちらも大体13~15度。でも甘さの感じ方が違うというか、越冬紅男爵芋はホクホクして本当にクリみたいで、栗じゃが芋は食感が滑らかで味が深い。どっちもおいしいですね。栗じゃが芋は10月の収穫後に寝かせて、甘さがピークになる4月くらいから使いはじめて10月くらいにはなくなる。で、越冬させた紅男爵芋はすごく甘くなる2月から4月くらいまで使っています。
―2種類のジャガイモを使い分けて時期をカバーしているんですね。紅男爵芋を導入したのは栗じゃが芋よりあとなんですか?
小川
後ですね。栗じゃが芋がない時期になにか使えるものはないかなと探して。越冬させたらすべてのジャガイモがおいしくなるかって言ったらそうでもない。でんぷんの量によって糖化具合も変わるし。
ーなるほど。
小川
うちのジャガイモは農家さんに頼んで化学農薬と化学肥料はできるだけ使わないようにしているんです。ジャガイモは収穫前に葉や茎を枯れさせる農薬を使うところが多いんだけど、それも使っていません。
―先ほど知床栗じゃが芋を使ったお料理を食べましたが、本当に甘くてびっくりしました! 甘いおいもというとサツマイモが思い浮かびますが、それともまた全然違う、ジャガイモの味が深いというか。
小川
完全に成熟させているから味も違うんです。今時期(取材時は10月)は甘味が少し落ちちゃってるから、2月の越冬紅男爵芋、4月の知床栗じゃが芋を食べてもらえれば、もっとびっくりすると思いますよ。
―プリンは、つるんとしたのど越しとジャガイモらしいまったりした舌ざわりが両立していて驚きました。やさしい甘さの奥にジャガイモの味もちゃんとあって新鮮なおいしさです!
小川
ふつうのジャガイモで作ろうとすると砂糖をたくさん使う必要があるので味がくどくなってしまうんです。栗じゃが芋のスイートポテトも同じですね。栗じゃが芋でないとおいしくできない。「珍しいプリン」じゃなくて「おいしいプリン」、「おいしいスイートポテト」を目指して作ってます。
一生に一度くらいは…の
卒業旅行がきっかけで知床へ
―ご出身は関西ですよね。北海道にいらしたのは…。
小川
高校2年の春休み、卒業の前の年の卒業旅行で。
―え(笑)?
小川
卒業する年は忙しくて行けないだろうと思って(笑)。
―旅行は元々お好きだったんですか?
小川
きらいではないけど…特に行きたいとも思わなかった。わざわざお金使って、疲れるのにって。家で寝ているほうがいいと思ってた。家族旅行や修学旅行は行ったことあったけど、自分の力で旅行したことがなかったから。でも友達と卒業旅行に行こうということになり。これが最初で最後の旅行だと思って、同じ行くなら一番遠いところにしようと北海道に(笑)。北海道に入って3泊目に知床に泊まって。で、はまったと言うか。僕だけ知床に留まって。流氷を見に来たんだけど、昔はすごかったもんな。
―いまよりもかなり大きな氷の山を見ることができたそうですね。そういう景色がよかったんでしょうか。
小川
一面真っ白で海が全く見えなくて。初めて見たときは流氷とはわからなかった。知床のユースホステルに着いて、それがオホーツク海で、白いのが流氷だって教えられてびっくりした。…流氷もすごかったんだけど、ユースでの時間が楽かったんですよ。みんなで歌ったり、ワイワイ過ごしたり。なによりもいろんな人に出会えたのが新鮮だった。みんな自分より年上で。当時は、自分のやりたいことがわからなくて将来に悩んでいた時期でもあったから、いろいろな話を聞いたりして。
―それが「あ―知床おもしろかった!」で終わらないで、最終的に暮らすことになったのはどういう経緯だったんですか?
小川
知らない人との出会いとか「旅」にはまったというか。それで将来、知床でユースのようなことをしたいと考えるようになった。ただ資金がないとどうにもならないので大阪で10年くらい働いたんだけど、民宿を建てるお金なんか貯まりそうになくて。だったら知床に住むだけでも住んでやろうと会社を辞めてこっちに来たんです。それでダメだったらあきらめもつくし。
―じゃあ会社を辞めてすぐに宿をはじめたんですか?
小川
一番最初はレンタルバイク。
ーレンタルバイク⁉!?
小川
バスターミナルの近くで原付スクーターのレンタルをしていたんです。
―民宿をやりたかったのが、レンタルバイクとなったのはなぜなんですか?
小川
お金がなかったから(笑)。最初はバスターミナルの近くの、下宿みたいに食事つきで住まわせてくれる民宿で暮らしていたんだけど、そこの方には本当によくしていただいて。いろいろ話したら、空いている土地を貸してもらえることになって、そこにプレハブ小屋を建ててスクーターを5台買ってはじめたんです。当時はみんな知床までバスで来ていたから利用者が多くて。でも、いまはお客さんがレンタカーで来るようになったからね。
ーそれは宿をやる何年前の話なんですか?
小川
4年くらい前かな。
ーこの場所はどうやって見つけたんですか?
小川
ここにあった建物を知り合いが買って、貸してもらえることになった。いまの建物は10年前に建て替えたものだけど、当時は1階に喫茶店とお土産物屋さん、2階は住居っていう建物だった。住居部分を客室にすれば、とりあえず10人ぐらい泊まれるから、それで民宿にしようと。本当はもっと山の中の静かな、北海道らしいところがよかったんだけど。
ーでも中心街にあって、とても便利ですよね。
小川
お客さんは、バス停や観光船乗り場に近いのがいいって言ってくれる。近くにコンビニもできたし。喫茶店が元々建物にあったので、民宿と飲食店の両方をやることにしたんです。
―そういういきさつでレストランをはじめたんですね。食事はおいしいものばかりだったので、腕に覚えがあって、だったのかと思いました。
小川
腕に覚えなんかないよ(笑)! 最初はコーヒーとか普通に冷凍のピラフとかも出してました。
―そうだったんですか! いまは化学調味料をなるべく使わずに材料にこだわったお料理を出されていますが。
小川
腕がないから、いい材料を使ってる(笑)。朝食で出している生卵は知床の平飼いの有精卵だし、お米も魚も北海道産、地場産を使うようにしています。北海道は素材がいいから、素材の味をこわさないように化学調味料は使っていません。ジャガイモ料理はジャガイモの味を損なわないように、例えばホワイトソースに加えるスープも手作りしているし、チーズにもこだわっています。民宿の味噌汁も昆布と煮干しでだしを取っているし。知床に来てくれた人には知床でなければ食べられないものを出したいと思っています。
―それが一番のおもてなしかもしれませんね。
小川
レンタルバイクをはじめた2年後から、冬はスノーモービルのツアーもやってました。当時は知床自然センターもなくて、冬は幌別川から先は通行止めになっていたから、この辺の山の上で半日ぐらい練習したあと僕ともうひとりで前後について知床峠まで行って、帰りは岩尾別の温泉に入って乙女の涙(フレぺの滝)に行って。それを9800円でやってた。…でも、全然もうからなかった(笑)。スノーモービルはプラグとか消耗パーツが高いのと燃費が悪くてガソリン1ℓで4キロくらいしか走らない。ちょっとぶつけたらすごいお金かかるし。9800円もらってもひとり1500円のもうけが出るかどうか。
―ははは。
小川
その次にやったのが観光船のネイチャーウォッチングボート。いまはクルーザーが増えたのでやっていないけど、昔は、乗客数300人くらいの大型観光船か、釣りをして景色も見るっていう遊漁船しかなかったんだよね。定員でいうと釣り船の少し大きい40人乗りくらいのもの。その遊漁船の「釣り」をやめてゆっくり知床岬まで観光しましょうっていうのを考えて、船長さんに相談してやることにした。だいたい5、6時間かけて知床岬まで行って帰ってくるツアー。当時、小笠原諸島のホエールウォッチングとかはあったけど、船を事前にチャーターしないといけなかったんだよね。だから、観光地で乗り合いという形、しかも動物を見に行くっていうのは珍しかった。…まぁ動物がメインではないんだけど。
―主に何を見るための船だったんですか?
小川
自然ですね。
―海から見る知床半島、みたいな感じでしょうか。
小川
クマも見られたんだけど…クマを見るための船にはしたくなかった。あくまでクマはその船で見られる自然の一部ですっていう感じでやってた。
―クマを見るための船にしたくなかったのはどうしてですか?
小川
クマのことしか頭になくなるから。
―確かに!
小川
いまは10回船に乗ったら9回はクマを見られると思うんだけど、当時は10回中5回も見られないぐらいで、いまよりも貴重な感じだった。それでもクマを見るということは二の次というか。クマが見られなくても、知床の自然を見られるだけでいいはずなんだけど…。うちのネイチャーウォッチングボートでは断崖の下ギリギリまで寄せて、自然の中に自分が溶け込んでいる空気を味わえた。1日1便だけだったけど、自然をゆっくり楽しむツアーだったんです。
―わーいいですね。これは何年くらいやっていたんですか?
小川
20年くらいかな。…知床の自然は言葉がいらないんです。実は昔、宿で星を見るツアーをやっていたことがあるんです。星座を勉強して一生懸命説明していた。でもある日、お客さんから「何も言わなくていいです」って言われて気がついたんです。ここの自然は理屈はいらないんだって。頭で考える必要がない。
ー確かにそうかもしれません。
小川
夜になると雑音が全くなくなるでしょ。鳥の鳴き声や風の音とか自然の音以外は何も聞こえなくなる。都会では絶対にないですよね。これも知床の自然だから、ぜひ体験してほしい。
ー代表的な観光スポットについ目が行ってしまいますが…。
小川
昔は自分の好きなところで静かにのんびりと自然を味わう人が多かったんだけどね。自然にひたる、みたいな。でも、最近はガイドを頼む人が結構いるんですよね。
―時間的に余裕がなくて効率よく知床を知りたいという人が多いのかもしれませんね。
小川
うーん、本当は知床の自然はゆっくり見てほしいんだけど。少なくとも2、3泊はしてほしい。
―個人的におすすめの場所はありますか?
小川
乙女の涙かな。断崖絶壁から地下水が流れ落ちていて、前にはオホーツク海、後ろには知床連山が広がっている。特に冬は一番行ってほしいところ。滝はエメラルドブルーに凍っていて、ここから眺める流氷は絶景だから。流氷の鳴き声(擦れる音)が聞こえるかも。ここに立つと自然にのみ込まれたような感じがする。知床自然センターでスノーシューと長靴をレンタルできるし、案内標識も立ってるからひとりでも行けると思いますよ。
ー冬の知床は、より「ここでしか見られない景色」が多そうですね。
小川
夏もいいけど、やっぱり北海道は冬がいいと思う。真っ白だし。静かだし。冬の厳しさも見てほしいし。冬は宿から乙女の涙までバスで行って、歩いて帰ってくるのがおすすめ。海岸沿いの道なので、プユニ岬から流氷を眺めたり、流氷のすぐ横を歩いたり、いろいろな角度から流氷を満喫できる。天然記念物に指定されているオオワシやオジロワシのほかエゾシカ、キタキツネもかなりの確率で見られる。実際に行った人は、「よかったですー」って言ってくれる。
―歩いて移動すると点から点の移動ではなくて、もっと広く肌で知床を感じることができそうですね。
小川
「世界自然遺産」と「知床国立公園」の指定地域は宿から2キロほどの「幌別川」から先。ウトロまで来て泊まって、それで帰ってしまう人や、冬はウトロで流氷ウォークだけして帰ってしまう人がときどきいるんだけど、これだと玄関の前まで来て帰るようなもの。本当にもったいないね。幌別川から先は景色も自然も空気も全然違うので、ぜひ行ってほしいです。
2019.2.19
文・市村雅代