「人のために仕事をすれば
2倍生きたことになるかなって」
旅人のログハウス Niseko アンビシャス
岡村良成さん | 大阪府出身。1987年宿開業。中学時代、自転車旅で行った室戸岬でものすごい星空を見てから星好きに。現在宿が建つ場所も星がよく見えるように、と将来周囲に建物が建たなそうなあかりのない場所を選んだ。おかげで30年以上経ついまも天の川がくっきり見える。現在の夢はアラスカにオーロラを見に行くこと。実はテレビドラマ好きという意外な一面もあり。 |
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自転車で旅に行きはじめた中学時代。高校・大学時代は登山部の活動の合間にひとり旅を楽しんでいた。21歳のときのあるできごとをきっかけに宿開業を決意。24歳という若さで妻を伴い北海道に渡りログハウスの宿をオープンした。学生時代、旅の途中で寄った宿の宿主の影響で、開業当初からアウトドアのガイドツアーを行う。登山というよりは山の自然を楽しむ癒やしのツアーで、初心者向けコースも豊富。
21歳で宿開業を決意
周囲の助けで4年後に現実に
―ログハウスであること。そして1年を通じてアウトドアのツアーを行っていること。HPには岡村さんが撮影された玄人はだしの映像や写真もアップされていますが、そもそものスタートはどれだったんですか?
岡村
まず宿。旅人宿をつくるところからはじまりました。
―ご自身が旅人だった時代があるんですね。
岡村
小学生のときに北大阪方面を自転車でちょこちょこ走りだして、中学時代に友達とユースホステルに泊まりながら四国と南九州を1周しました。「サイクル野郎」(1971~79年)というマンガに影響されて自転車で旅行しようって思ったんです。高校受験に失敗して日本一周するっていうマンガだったんで、僕も真剣に高校受験に失敗したら日本一周しようって考えてた。でも首の皮一枚つながって受かっちゃった(笑)。
―じゃあそうやって小学生のときから自転車で旅をして…。
岡村
高校は山登りだったんですよ。だまされて登山部に入ったんです(笑)。本当は自転車の旅を続けたかったんだけどユースホステルがどんどん高くなっちゃってね。キャンプをしないとお金がもたないけど、キャンプ道具をそろえるとなるとお金かかる。そんな話を担任の先生にしていたらたまたま登山部の顧問で、うちのクラブにくればキャンプ用品はいくらでもある。全部貸してやる、と。そんなことで引きずり込まれて。でも合宿でお金がかかるから結局自転車の旅行ができなくて山ばかりになっちゃった(笑)。
―当時は関西の山を中心に登っていたんですか?
岡村
夏合宿は全部北アルプスですね。5泊6日くらいで行ってましたよ。
―基本的なことはすべてここで学んだ感じですか?
岡村
一番山について勉強したのは大学時代かな。また山のクラブに入ったんです(笑)。まただまされた。ユースホステル部っていう名前だったんです。
―え? 登山をするクラブなんですよね?
岡村
はい、山岳部と同じです。しかも体育会の(笑)。高校時代は信州で山を登ったあと、仲間と別れてユースを使ってひとりで旅をしていたんです。出会いもたくさんあったし、いいなーこういう旅はと思っていたんです。だから大学に行ったらいろいろなところをまわろう。北海道一周するのもいいなとか、考えていたんです。それでユースホステル部っていうのがあったので見学に行ったら…ころっとだまされちゃった。
―あはは。
岡村
トレーニングはきつかったけど、4年間天気や地図の見方を徹底的に勉強しましたね。体育会だと後輩たちに質問されてごまかしたりするとなめられちゃう(笑)。だから2年のときは、本一冊丸暗記するくらい覚えましたよ。それがいま一番役立っていますね。特に天気は自分の身を守る最も大事なものだと思ってます。
―そのころはどの辺の山を登ってらしたんですか?
岡村
南アルプスですね。昔から超晴れ男で、富士山含め主だった3000m級の山は快晴の日しか登ったことがなかった。アルバムを見ると全部青空です。
―それはうらやましい!
岡村
それがなければ辞めてました、あんなきついクラブ(笑)。
―ちなみに学部は。
岡村
全然関係ない経済学部(笑)。ほとんどクラブしか行ってなかったですよ。
―山漬けの4年間だったんですね。卒業後の進路はどうしようと考えていたんですか?
岡村
実はもう宿って決めていたんです。21歳のときにいろいろあって、こういう旅人宿を北海道でつくるんだって思っていました。
―なにかきっかけがあったんですか?
岡村
その夏に悲しいことが2つ起こって…。中学時代に初めて好きになった人が白血病で亡くなったんです。それから1週間経たずに、今度は一緒に頑張ってやってきた部員の女の子が亡くなったんです。自殺で。
―そうでしたか…。
岡村
本当にもう悲しくてね。生きたくて生きたくて生きたくて、でも生きることができなかった子と、まだまだ生きられる子が自分で命を落とすなんて、ありえないことが続いて。亡くなった人の分を生きるなんて自分一人ではできないけど、何か人のために仕事をすれば人の2倍生きたことになるのかなって思いはじめて。自分はずっと旅をしてきて、旅の途中で学んだことも助けてもらったこともいっぱいある。だから、それを旅人に伝えることはできるんじゃないかと思ったんです。それが旅人宿をつくろうと思った一番のきっかけですね。
―人のためになにかをする場として宿業を選んだんですね。
岡村
北海道庁旧本庁舎に「島松での別離」という大きな絵があるんです。帰国するクラーク博士が学生に「Boys, be ambitious」って言ったシーンを描いた物です。そこに、「大志は、私利私欲のために抱くのではなく、人として人にしなくてはならないことに対して抱きなさい」ってあって。そのとき旅人宿の名前はアンビシャスにしようって決めたんです。旅先で会った人たちには、いつか北海道にアンビシャスっていう宿ができる、それは僕の宿ですからって言ってました。
―すごい!
岡村
その意気込みじゃないと人も動かなかったし、僕もその若さではできなかったですよ。それで実は大学3年の冬に北海道に来ちゃっていたんです。宿業は学歴が関係ないからって、ヘルパーとか宿のバイトをさせてもらいながら勉強させてもらおうと思って。
―思い切りましたね。
岡村
そのとき北海道でうちの奥さんと知り合って、一緒に宿をやろういうことになったんです。でもブラブラしてたんじゃ結婚もできないからということで大学に戻って旅行会社に就職しました。その会社には結局2年勤めて、24歳で結婚してニセコに来たんです。
―じゃあ宿をはじめたのは…。
岡村
25歳のときですね。当時バブルのまっただ中で、時代もよかった。なによりも、ほんとにいろんな人との出会いに恵まれていましたよ。うちのログハウスをお願いした会社の社長さんも、ニセコにはログハウスを建ててないからモデルハウスとして建ててやるって、すごく安くしてくれたんです。宿をやるならお客さんを体験宿泊みたいな感じで泊めてあげてくれ、と。
―双方にとっていい条件を出してくれたんですね。
岡村
何もないけど夢だけはあって。夢だけ語って思うようになったのは奇跡でしたね。そもそも夢がなければ人は動いてくれなかったと思います。
―確かに。
岡村
でも一番は奥さんのお父さんが大工の棟梁さんで、すべてできる人だったから。そうでなかったらとてもできなかった。内装材はすべて製材したままの木を使ったんですが、2人で延々と電動カンナをかけたり。最後はお父さんが手カンナで仕上げてくれました。
―えー!
岡村
屋根をかけるときは雪が降っちゃって大変だった。11月中旬だったんだけど家の中が吹雪になっちゃって。窓も届くのが遅れていたから、雪かきして床を張ったり。床を張るためのボンドを置いておくとボンドが凍ってくるんですよ。それでボンドを解凍するためにお湯をわかしてそこに浸けておくと30分くらいして今度はお湯が凍ってくる。
―あはは。コントみたい。
岡村
それくらい寒かった。かなづちを手でつかむとくっついたし。
―そもそも北海道で、というのはどうしてだったんですか?
岡村
旅人宿をやるなら北海道しかないなと思っていました。信州あたりだと週末にお客さんが集中するけど、北海道だったら長期で来る人が多いから曜日はあまり関係ないかなと思って。その中でもニセコを選んだのは、冬、スキーで訪れる旅人さんを確保できる場所だから。ふつうは夏を中心に考えて宿をやるけど、冬にお客さんがいないと出稼ぎに行かなくちゃいけないかもしれない。でも雪かきが大変な雪国では、子どもと嫁さんを残して行けませんから。
―特に豪雪地帯ですからね。
岡村
旅人宿にしたのは、サロマにある宿に泊まったときに宿の運営方法…というか宿主の生き方に共感したからですね。真冬にスノーモービルでパラセーリングを飛ばしていたんですが、当時すごく安くて。氷上で歩くスキーもすべてやって1日700円くらいだった。
―えー(笑)!?
岡村
スノーモービルとパラセールを合計100万円くらいかけて買って、それを700円で飛ばすっていう(笑)。父さんに「こんなことやってたら割に合わないだろう」って言ったら「サロマ湖は北海道で一番大きい湖だけど、みんなゆっくり滞在しないから思い出も残らない。だからお金は関係なく、サロマ湖で空を飛べたっていう思い出が残ってくれたらそれでいいんだよ」って。だから、人のために何かしたいと思っていたときに、こういう宿をやろうと。それしか自分にはできないって。
―そうだったんですね。
岡村
常連客でもなかったのに不思議な縁ですよね。サロマ湖上で氷上結婚式も挙げてくれて。その後、宿をやるって言ったらすごく喜んでくれてね。
―かなり影響を受けましたね。
岡村
そうですね。あとはうちの奥さんがすごく助けてくれた。宿をはじめる前に、1回ほかの仕事に就こうとしたら怒られましたよ。安全なほうに行こうとしているって。
ー気持ちが揺らいだ時期もあったんですね。
岡村
ちょっと迷っていた時期があったんだけど、そんなことでどうするのって。…実は奥さんと仲良くなったのも、このサロマの宿だったんです(笑)。いつも苦労をかけているけど、最近は一緒に山を登りに行く時間もできてきました。
道央の自然のポテンシャルを感じる
100以上のアウトドアコース
―冬の営業が確保されているということでニセコを選んで、実際どうでしたか?
岡村
宿をはじめる前に近所の宿にあいさつに行ったら、みんな、冬はいいけど夏は何もない、お盆でもお客さんは5人いればいい方だって。それを聞いて厳しいなぁって思っていたんだけど、雪が解けて神仙沼に行ってみたらチングルマがいっぱい咲いていて。北アルプスの3000m級の山で見ていた高山植物が760mという低山で見られて、なんといいところだって思ったんです。でもJRの周遊券を使っている旅人にはそこに行く手段が一切ないでしょ。僕が車で連れて行くしかない。だからツアーをやろうと思ったんです。
―確かに交通手段の問題は大きいですね。
岡村
サロマの宿の父さんがそうやっていたので。父さんには知床とか摩周湖に連れて行ってもらったけど、今考えるとサロマからはすごく遠いよ(笑)。
―じゃあサロマの宿での経験と神仙沼の景色がきっかけでツアーを行うようになったんですね。
岡村
そうですね。でも当時は100名山ブームもまだで羊蹄山もそんなに有名じゃなかった。だからこの近辺の25000分の1の地形図を買って、お客さんと歩いてコースタイムを地図に書き込んでハンドブックを作ったんです。そのハンドブックを冬に泊まりに来たお客さんにあげて、スライドショーで写真を見せて「ニセコは夏が最高の季節だよ」って言ってたら、なんと夏と冬のお客さんの数が一緒になった(笑)。
―営業努力が実りましたね。
岡村
通常1泊で移動しちゃうバイク旅の人も連泊してくれるようになって。昼間、宿の前にずらーっとバイクが止まっているもんだから、周りの宿からは不思議がられたね(笑)。まさかライダーがバイクで走らないで、山に登っているとは思わないでしょ。
―でもツアー代がとても安いですよね(2019年1月1日よりニセコ連峰2500円、その他3000円)。最初に値段を聞いたとき、これでやっていけるのかと思いました。
岡村
最初は700円でしたよ。
―あはは。
岡村
サロマの宿と同じ値段(笑)。当時は旅費に余裕のない学生の旅人さんが多かったからね。
―コースのバリエ―ションも豊富ですよね。
岡村
20年前の「とほ」本には15コースって書いてあったけど去年の暮れに数えてみたら、100超えてましたよ。
―100って…。
岡村
ことしの正月から6月までにまた16コース増えたんです。僕も30年間気がつかなかった、こんなすごいところがまだ残っているのかって。道央圏は北海道で最後の秘境なんじゃないかと思えてきますね。
―新しいコースはどうやって見つけているんですか?
岡村
山で知り合った人と話していると「ここもいいけどあの山もいいよ」、なんていうのもあるし。夏に沢登りツアーで滝に行ったときに、これ冬凍るかなと思って実際に行ってみたらすごい氷瀑だった、みたいなこともある。そんなんでコースがどんどん増えちゃう(笑)。昔から探究心が強いんですよ。だから旅していたんでしょうね。未知なる物を自分の足で探すのが旅だと思ってるし。だから、脇道に踏み跡があったら必ず見に行くもん。それで、こんなところにこんな花が咲いている!って見つけたり。
―あはは。
岡村
グーグルアースもめちゃくちゃ活用してますよ。航空写真で植生を見てますね。見てここは登って楽しいか滑って楽しいか、とか。あと崖とか雪崩箇所も確認してます。
―グーグルアースをそういう風に使っている人初めて聞きました(笑)。
岡村
それをスマホのGPSに入れて。
―そんなに活用してもらって、グーグルも大喜びですよ!
岡村
意外なところで最先端いってます(笑)。
―フィールドも広いですよね、白老方面にも足を伸ばしたりしているようですが。
岡村
ニセコだけにこだわったら、天気が悪いときでも行かざるを得なくなっちゃうから。でも最初は羊蹄山周辺のエリアだけだったんですよ。
―いわゆるニセコエリアですね。
岡村
羊蹄山から見える山に登って反対側から羊蹄山を見たい、と順番に登っていったのが、コースが増えるきっかけでしたね。そのうちエリアごとに天気が全く異なるのがわかって、いまは全て風向きで行き先を判断しています。
―天気というよりも…。
岡村
風で判断しています。ゆるーく風に流されていく。夏は太平洋高気圧に覆われていて南風が吹くのでニセコ連峰や日本海側の海が晴れるんですよ。雨が降った次の日は絶対北西の風が吹くからそうしたら太平洋側の白老方面が晴れたり、ほんとに風向きひとつで晴れる場所がはっきりわかるんです。
―そういうのは大学のときの部活で得た知識が役立っているんでしょうか?
岡村
そうですね。
―どこかしらお天気のいいところを見つけてツアーにしているんですね。本当にお天気が悪いときはグルメツアーを行っているということでしたが。
岡村
ことしはほんとに天気悪かったからね。以前だったら胃が痛くなったけど、今は全然大丈夫。お客さんにも自信満々で今日も歩くよって(笑)。でもグルメツアーもファンが多くて、そっちに誘導されちゃうことも…。
―あはは。グルメツアーも魅力的ですよ。
岡村
昔だったら1か月くらい旅をしている人ばっかりだったから、1日くらいウニ丼食べて温泉入ってうだうだしてようっていう日があってもよかったんです。でもいま来ている人はだいたい2泊3日から1週間。みんなツアーに参加するために頑張って仕事して休みを取ってきてくれて。その中でうだうだする日をつくれませんから。自分でオフと思ったらオフシーズンになっちゃうから全部トップシーズンだと思って努力してます。
―その努力の結果、コースが増えてきたんですね。
岡村
ただ、みんなはどこか特定の山に行きたいわけじゃないんだよね。自然の中をゆっくり歩きたい。ここで知り合った人と一緒に歩きたいんですよ。
―アンビシャスのツアーは「山屋」向けではないとおっしゃっていましたよね。
岡村
お客さんの7、8割は普段山登りをしている人ではないです。だから、お天気がよくてさわやかで花がいっぱい咲いていれば、ニセコでなくても、山頂まで行けなくてもいいんです。それを変に山にこだわって雨の中カッパを着て歩くようなことはお互いしたくないし、させない。だから初心者含め誰もが安心して癒やされながら自然の中を歩けるんです。
―目星をつけた場所をコースとして組み立てるのも大変そうですよね。
岡村
はじめてのツアーは僕が下見してみんなを連れて行くんじゃなくて、一番最初にお客さんと一緒に行くんです。ネットや地形図で危険な場所がないか情報収集して、このメンバーだったら行けるなっていう日に行きます。出かけるときには行き先を言わずにミステリーツアーということにして。スタート地点まで行って天気を見て、よしこれだったら間違いないってなったら「実は今日のツアーははじめてのコースです」。わぁぱちぱちってなりますね(笑)。お客さんも「僕らが見つけたんだ!」っていう感動があるでしょ。初めてのツアーっていうのは1回しかないから。
―「いいところがあるからおいで」とお膳立てするだけじゃなくて自分たちで今後のコースを見つけるんですね。それはうれしいですね。…うれしいと言えば、写真や動画もかなり撮ってお客さんに渡していますよね。
岡村
ビデオもいまは5分間だったらLINEで送れるから。みんな喜ぶよ~。親に見せるんだ、とかね。
―よく編集したりする時間ありますよね。
岡村
めちゃくちゃ大変(笑)。
―どうやって時間のやりくりしているんですか?
岡村
撮った映像をすぐに編集かけないと間に合わないからiPadを車に積んでおいて、下山と共に写真と映像を取り込むんですよ。帰りに温泉に寄るんですけど僕は20分くらいでさっと上がってきて、iPadでビデオ編集をはじめるんです。宿に帰ったら30分くらいでHPを仕上げて残りは食事のあと飲み会までの1時間で全部仕上げてしまいます。で、朝起きて一時間くらいでショートムービーをつくったり。毎日だけど、ほんとによくやるよね(笑)。
―機材は何を使っているんですか?
岡村
最初は安い一眼レフを使っていてその後ビデオ。どんどん機材が小さくなっていったね。三軸ジンバルっていうぶれないビデオとかね。最近は動いているシーンは全部GoPro。花のアップとかはデジカメで撮影しています。
―その辺やっぱり探究心出てますね~。しかも4K導入されているんですよね。
岡村
本当は全部4Kでつくりたいんですけど、まだちょっと時期尚早かなと思って。この映像はハイビジョンだけどきれいでしょ。
―きれいですね。しかも花のお名前も入っていて音楽まで乗っててBSハイビジョンかって、感じですね(笑)!
岡村
映像だと「すごいところ登ってる感」あるけど、これは初心者向けのコースでほとんどが平らなんです。このときに行ったのは樽前山近くの名もない名峰って言われている場所で、人がいなくて景色がよくて花がある。登山客でいっぱいの山頂には登らないで、こういうところに行ったりします。
―穴場感がすごいですね。
岡村
こういうのを見つけてくるんです。お客さんは有名な山にこだわっているわけではないので。
―自然を楽しむのが目的なんですね。
岡村
山を登っているときはみんないい顔しているんですよ。なんだかんだ言って、やってて一番うれしいのはみんなの笑顔。宿だけじゃみんなのこの屈託のない笑顔は見られないもん。みんなの最高の笑顔が見られる仕事だから頑張ろうって思います。
―だまされて入った山岳部の経験がうまい形で旅とくっつきましたね。
岡村
おもしろいですよね。人生無駄な物はひとつもないんだなって思います。
2018.12.25
文・市村雅代