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とほ宿めぐり

エゾリス君の宿 カンタベリー

「旅のお世話ができるのは
旅行会社よりも宿かなと」

エゾリス君の宿 カンタベリー

小松高広さん 兵庫県出身。2007年に宿を開業。小さいころからの地図好きが高じて旅好きに。宿をはじめてからも、毎年12月ごろに2週間程度東南アジアへ、2月ころに台湾か中国へと、積極的にでかけている。現在の目標はJALグローバルクラブのステイタス(優先搭乗、ラウンジの使用などの特典あり)をアップグレードすること。そのため、例年よりも飛行機に乗る機会を増やしている。

地図を見て妄想するのが大好きだった少年が、旅行代理店へ就職。そこで旅行好きゆえの壁にぶつかり、より旅のお手伝いができる仕事をしようと宿の開業を思い立つ。資金集めには苦労したが、念願かない10年越しで開業。談話室には、趣味で集めた飛行機の模型や国内に乗り入れていない航空会社含め世界の機内誌が並ぶ。移住者としての経験を聞こうと移住相談で訪れる人も。

旅行が好きで旅行会社に就職

そして旅行好きだからこそのジレンマに

 

―小松さんはもともと旅行関係のお仕事をされていたと聞いたことがあります。

 

小松

大学を出て、最初に就職したのが旅行会社なんです。とにかく学生のときから旅行が好きで、休みになったら貯めたバイトのお金で旅行をしていました。

 

―学生時代、サークルには入っていたんですか?

 

小松

離島研究会というサークルに入ってました。

 

―…ガチですね(笑)。

 

小松

(笑)ガチです。

 

―実際に離島に行くんですか?

 

小松

もちろんです。実際に行くのがメインです。部室もあって、補助金もちゃんと出る大学公認の真面目なサークルだったんです。

 

―何を研究していたんですか?

 

小松

関西の大学だったんですが、年に一度、だいたい瀬戸内海の島に2週間くらい滞在して、その島の文化だとか産業、教育などあらゆることを調査していました。最終的には1冊の本にして、地元に還元するという活動ですね。1冊の本にするので、編集作業が結構大変だったんですよ。校正したりなんだり。

 

―すごい! 

 

カラマツの木立に囲まれたドイツの古民家風建物が宿。宿名にあるとおり、エゾリスとの遭遇率も高い

 

―大学で勉強されていたのは、また別のことだったんですか?

 

小松

勉強はね…地理学。もうね、ガチガチなの(笑)! 高校のときは地図オタクで地図帳をずっと見てました。見て、どんな土地かな~って妄想していました。それが大学に入って爆発したって感じです。その妄想していたところに実際行ってみるっていう。

 

―最初にその妄想を爆発させたのはどこだったんですか?

 

小松

珍しくもないんですが、東北に行きました。仙台とか山形、福島にJRの南東北周遊券みたいのを使って行ったと思います。

 

―妄想とのギャップみたいなものはありましたか?

 

小松

妄想との違いというか、やっぱり実際に見てみないとわからないところはありますよね。一番はやっぱり食べ物かな。地図に載ってないですから(笑)。いまでこそB級グルメとして知られた物がありますけど、当時は実際に行かないとそういう情報は一切入ってこなかったですから。

 

―そうかもしれませんね。バイトでお金を貯めて旅行していたということですが、どんなアルバイトをしていたんですか?

 

小松

大学1~3年の時は、ちょっと変わったアルバイトしていましてね、神社で働いていたんです。長野の御嶽山、知っていますか?

 

―2014年に噴火しましたね。

 

小松

あそこの7合目に、御岳神社の社務所があるんですよ。そこで1か月くらい宮司さんのサポートみたいな仕事をしていたんです。お札を売ったり、賽銭を取りに行ったり、食事作ったりっていう。

 

―そんなアルバイトがあるんですね! 

 

小松

それが、結構いいお金になったんですよ。ひと夏で35万円くらいもらっていたと思います。食費とかは一切かからないし。それを元手に旅行にしていました。ほかにもいろいろやってましたよ。家庭教師もやってましたし、コンビニでも働きました。神戸港で関西汽船(当時)のフェリーのタラップを上げたり、チケットを切ったり放送したり。そんな仕事もやってました。

 

―授業では地理学を学び、サークルでは離島を研究し、時間とお金があれば個人的な旅にも出る…徹底してますね。

 

小松

それで卒業後は旅行会社に勤めるんです。安直ですよね~(笑)。いま考えたらばかだなぁと思いますよ。安直すぎるよなぁと。

 

―(笑)旅行会社が第一希望だったんですか?

 

小松

第一希望。

 

―じゃあ夢かなって旅行会社に就職。すばらしいじゃないですか(笑)!

 

小松

言うことないですよね(笑)!

 

別棟のエゾリス舎は1階が雑貨店、2階は離れ的な雰囲気で利用できる客室になっている

 

―実際、旅行会社ではどういうお仕事をされていたんですか?

 

小松

団体旅行とかパッケージ旅行のセクション…ではなかったんです。旅行会社ってそういうイメージがあるじゃないですか。添乗員だとか。

 

―そうですね。それ以外ちょっと思いつきません。

 

小松

僕がやっていたのは海外への業務渡航です。ビザを取ったり、渡航書類を作って領事館に持って行ったり、そういう仕事がメインでした。

 

―あぁ、そういうのも旅行会社のお仕事なんですね。それはご本人的にはどうだったんでしょうか。

 

小松

すごくおもしろかったですよ。一部上場、大手企業の重役とか社長も含めて、社員さんの出張や海外赴任に必要な書類を作成していたんです。サウジアラビアとか、観光旅行ではあまり行かない場所のチケットやホテルを手配したりビザを用意したり。国ごとにビザの取り方も違うので、いろいろ調べながら。

 

―じゃあ、ちょっとハワイに行きたいんだけど、っていうような一般の方は来ないんですね。

 

小松

その会社の方が、個人的にハワイに行きたいんですけど手配してもらえますか?っていうのはありました。百貨店で言うと外商みたいな感じですかね。パンフレットを持ってお宅まで行きますからね。

 

―旅行会社にそういうお仕事があると思いませんでした。このお仕事が何年か続いたんですね。

 

小松

3年くらいですかね。そのあと結局やめてしまったんです。

 

―楽しくやってらしたのに…。

 

小松

確かにやっていることは楽しく、興味のあることだったんですけど…。当たり前ですけど利益を上げないといけないんですよ、企業なんで。自分のおすすめの場所を案内できないんです。例えばホテルでも、自分が一番いいと思っているところではなく、利益率の高いホテルを案内しないといけないんです。そういうのがどう考えても納得いかなかった。

 

―旅行好きだけにつらいですね。

 

小松

よけいにジレンマがありましたね。

 

九死に一生を得て

宿開業に本腰を入れるように

 

―でお辞めになって…。

 

小松

働いているときには旅行できなかったので、しばらく放浪してました。中国から東南アジア、インド、ネパール、とバックパッカーで半年くらいですかね。で、帰ってきて、知床の民宿で住み込みで働いていたのかな。

 

―初北海道だったんですか?

 

小松

いや、学生のときに友達と来ていたし、旅行会社で働いているときにもちょっとした休みに来たことがあったんですよ。会社勤めしていたときに、はじめてとほ宿に泊まったんです。はじめてのとほ宿にはちょっと感動しましたね。失礼を承知で言えば、「こんな建物でもできるんだ」って。古い農家を改築して使っていたんです。でもすごくたくさんお客さんがいて楽しかったんですよ。こんなこともあるんだ、みたいな感動でした。

 

―とほ宿初体験の「こんなこともあるんだ」っていう感じわかります。こんな旅の形があるんだ、みたいな。

 

小松さんが宿をはじめる前から好きだったというクリスマスローズ。敷地内に200株以上あり、5月頃から花を咲かせる

 

小松

海外の放浪から帰ってきたときに、とほ宿みたいな宿をやりたいかなっていう思いが漠然とあったような気がしますね。海外でもそういうゲストハウスみたいところに何か所か泊まったんですけど、結局、一番旅のお世話ができるのは旅行会社よりも、宿かなって。旅で一番思い出に残るのは宿なのかなって。

 

―そうかもしれませんね。

 

小松

だから僕は旅行会社にいるよりも宿をやったほうがいいんじゃないのかなって、なんとなく思いはじめたんです。

 

―あくまでも旅をプロデュースする側の目線、というのがおもしろいですね。

 

小松

当時、とほ宿のオーナーさんたちからはよく、困ったお客さんの話とか宿をはじめる際の苦労話を聞かされたんですけど、話す顔は笑っているんですよ。大変だって言いながら、なんか楽しそうなんですよね。これはいいな、苦労も楽しめる仕事ってすごくいいなと思って。

 

―そうやって少しずつとほ宿に気持ちが向きはじめていったわけですね。北海道を選ばれたのはどうしてだったんですか?

 

小松

僕、生まれは淡路島なんですよ。狭い島の中で生活していたんで、広いところって憧れるんですよね。

 

―じゃあ知床で働いたあとは?

 

小松

2、3年アルバイトをしたりして札幌で暮らしていました。でも資金が…(笑)。それで一回実家に帰ったんです。北海道で働いていてもお金は全然貯まらないし、それだったら実家から通えるところで働いてお金を貯めた方が賢いのかなって思って。旅行会社が社員を募集していたので、そこに入って3年くらい勤めました。小さい会社だったんでなんでもやりましたよ。添乗員もやりましたし、海外のパッケージツアーの予約を取ったりもしました。

 

―じゃあ3年ぐらい働いてほどよく貯まったところで…?

 

小松

それで宿をはじめました…だったらスムーズだったんですけどね(笑)。それでもね、貯まらなかったんですよ、お金が。

 

―なかなか難しいですよね。

 

小松

当時、淡路島にいるときに、千葉に住んでいた妻と付き合いはじめたんですけど、そのうち一緒に暮らそうってことになって。場所は東京か千葉か淡路島か。…でもどちらかの地元にすると片方に不公平というか。だから公平に、間を取って札幌に住もうってことになって(笑)。

 

―「間」じゃないですけど(笑)!

 

小松さんとは旅先のユースホステルで知り合った妻の理恵さん。韓流ドラマや歌などを教材に韓国語を独学でマスター

 

小松

とりあえず札幌を拠点に道内をまわって、とほ宿みたいな宿をはじめる準備をしようってことになったんです。当時は212くらいあったのかな、市町村の数。ほとんど見て歩きました。

 

―全部見てまわるのはなかなかですね。どういう場所を希望していたんですか?

 

小松

僕は、とりあえず自分が住んでみたいと思うところで宿をやろうと思っていました。

 

―観光地ではなく。

 

小松

観光地でもここは住みたくないっていうところでは宿もやりたくない。そういう考えで見ていたんです。で、2000年ころかな。たまたま中札内村に来たことがあって…理屈じゃないんですよね。「あ、ここに住みたいな」って思ったんです。畑の感じとか山の見え方とか。妻も後日連れてきたら「いいねぇ」って。この辺って放棄されている畑はないし、朽ち果てた建物とかないせいか、活気があって明るい感じがしたんです。

 

―そういう印象で、中札内にほぼ決定したんですね。

 

小松

で物件探しをはじめたんですが、その前に…大きな事故にあったんですよ。

 

―え?

 

小松

その年の年末、納沙布岬に初日の出を見に行こうということになって2人で車で向かったんです。

 

―札幌からだと結構ありますね。

 

小松

釧路を過ぎたあたりになると、路面が凍っている上に雨が降りだして、すごく道が滑ったんです。だから時速40キロくらいでゆっくり走っていたんですよ。そうしたら後ろから車ががーっと追い越しをかけてきて。きちんと追い越してくれたらよかったんだけど、追い越し中に滑ってうちの車に突っ込んできたんです。ガーンと突っ込まれてそのまま1回転して路肩に落ちたんですよ。さらに、うちの車の上にその車が落ちてきた。とんでもない事故だったんです。

 

―ほんとうにとんでもないことになってますけど、大丈夫だったんですか?

 

小松

とりあえず下に雪がちょっと残っていたんで、それがクッションになって車の屋根がペしゃっとつぶれなかったんです。あとシートベルトをしていたので宙ぶらりんになって、頭を打ったりはしませんでした。

 

―あーよかった。

 

小松

大きなけがはなかったんですけど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)的な症状は出ましたね。ガシャーンっていう音を聞いたら、そのときのことを思い出すみたいな。

 

―うわー。大変でしたね。

 

小松

でもそれが転機になったんです。それまでは、宿をやりたいやりたいって、思ってはいたんだけれども、ちゃんとやっていけるかどうかわからないしって、二の足を踏んでいたようなところがあったんです。だけどその事故で、「こういうことであっという間に死んでしまう可能性があるなら、好きなことを今すぐやらないと後悔する。あのとき死んだと思えば何でもできるや」と(笑)。足りないお金を稼ぐために必死で頑張ろうって。

 

―そういう契機になったんですね。

 

小松

事故のすぐあとに物件を探しに行きました。すごいスピードで(笑)。

 

客室からはカラマツの林が見える。周囲に建っている建物もドイツ風なので、一瞬日本にいることを忘れそう

 

―ここはどうやって見つけたんですか。

 

小松

実は、最初はこことは別の、村が分譲している土地を買ったんです。2001年ころですね。でも建物を建てるためのお金が捻出できなくて。それで妻の実家で暮らしながら東京で稼ごうということで4年くらい千葉にいました。でもそうこうするうちに、いま宿にしているこの建物が手ごろな値段で売りに出ているのを知って。それならすぐに宿をはじめられるということで、村のほうの土地をキャンセルしてここを買ったんです。2005年ころだと思います。

 

―で開業したのが2007年ですね。

 

小松

宿をやろうかなと思いはじめたのが26、27歳で、実際にはじめたのが38歳くらい。10年以上かかってしまったんです。

 

―それでも実現させているんだからすごいですよ。

 

ノープラン歓迎! 純粋におすすめを

案内できるのが旅好きとして喜び

 

―旅好きだから宿をはじめた、という方は多いですが、そのことで旅行する時間が取れなくなったという方もいますよね。小松さんは時間を捻出して、旅行にもよく行かれているようですが。

 

小松

行かないと! 宿をやっている人間は絶対に旅行に行かないとだめです。

 

―それはどうしてですか?

 

小松

地元の良さがわからなくなります。違うところから客観的に見ることは大事なんです。あと、お客さんを迎えているばかりだと感覚が麻痺していきます。旅行者の気持ちがわからなくなる。自分が旅に出ると、宿の人にしてほしいことがわかりますよね。それをお客さんにしてあげられるので。

 

―例えばどんなことですか?

 

小松

海外行ったときなんかは、その宿までの交通手段に困りますよね。アクセスのいい場所だと問題ないのですが、うちみたいに近くに駅がない場所だと困ってしまうのがわかるので、送り迎えはできる限りしてあげています。帯広駅くらいまでなら行きますよ。

 

―ここから帯広駅までというと約35キロ。その距離でお迎えは、結構大変ですよね。

 

小松

この前来たオーストラリアからのお客様は食事を予約していなかったんですよね。だからスーパーに連れて行ってあげたら、大喜び。僕も海外に行ったら絶対にスーパーに行くんです。だからそういうところに連れて行ったらうれしいってわかってるんで。

 

―旅行会社より宿のほうが旅人をサポートできるんじゃないかと考えていたそうですが、そのあたりはいかがですか?

 

小松

利益に関係なく、純粋に自分がおすすめしたいと思う場所を直接案内できるので喜んでもらえていると思います。うちのお客さんは何も決めずに来てくれる人が多いので、逆にうれしいです。「とりあえず来たんですけど、どうすればいいですか?」って。そういう人に案内できるっていうのは、旅好きとしては一番ですね。

 

―昨年10周年を迎えられましたが、住みたいと思ったところは宿の運営にも適した場所でしたか?

 

小松

もちろんです。中札内は美術系の施設がいくつかあるので、それなりに観光地としても人気が出てきているのかな、とは思います。なにより、住んでいいと思える場所をお客さんに紹介できるのっていいですよね。そういう場所って、本当の意味で「北海道のいいところ」なんだと思います。

 

豚肉や野菜、朝食に出てくる卵は中札内村産。「水がおいしいのでお味噌汁やコーヒーもおいしく感じます」と理恵さん

 

―本当にそうですね。有名な観光地だけが「北海道のいいところ」ではない、と。

 

小松

知床みたいな、有名な観光地は近くにありませんが、この辺の広い畑の雰囲気って、僕のイメージする「北海道」なんですよ。

 

―私の中の「北海道」もそうですね(笑)。

 

小松

あと、中札内は空が広い! なぜ中札内の空が広く感じるのかって考えてみたら、南に開けているんですよね。山の向きがいいんですよ。山の位置関係がすばらしい(笑)! 

 

―どの時期もいい景色が見られそうですが、好きな季節はいつですか?

 

小松

どの季節のどんな景色も好きです。はじめて来たときよりも好きになっているかもしれません。春は肥えた土、夏は麦が黄金色になって秋にはカラマツの紅葉が見事。特に11月から2月の雪山の景色を見るとあーここに来てよかったと思いますね。

 

―いいなぁ。中札内に住みたくなっちゃいました(笑)。

 

2018.10.30
文・市村雅代

 

 

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