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旅人の宿 こっつぁんち

「宿主は特色ある人ばかりでしょ。
それを前面に出すのもひとつだね」

旅人の宿 こっつぁんち

古藤均さん 通称こっつぁん。千葉県出身。1982年に宿を開業。20年、30年と通うお客が多く、常連客の結婚式で花嫁の父親役を務めたこともある。パソコンをはじめたのは50歳になってからだが、現在では宿のホームページのほか、ブログ、Facebook、掲示板を運営。近年、冬の寒さがつらくなってきたが、妻・久枝さんの手料理を毎日食べ、120歳まで元気でいる予定。
古藤久枝さん 通称うまちゃん。広島県出身。中学校の社会科の先生になって定年退職後は小料理屋の女将になる、という夢があったが、こっつぁんとの出会いで大きく路線変更。しかし、料理の腕前は宿の運営にも大きく貢献し、うまちゃんの作るバリエーション豊かな野菜料理はこっつぁんちの楽しみのひとつに。

とほ宿きってのおしどり夫婦だが、実は交際期間ゼロで結婚への道のりがスタート! 宿をはじめてからの37年は夫のこっつぁんがお客さんを盛り上げ、妻のうまちゃんが畑で採れる作物で腕を振るって料理を作り、宿泊客とともに近隣の自然や畑の作物を楽しんできた。開業時にすでに子どもがいたこともあり、小さい子ども連れの家族を歓迎している。

自分たちで育てた野菜を使った

バリエーション豊かな料理が自慢

 

―「こっつぁんち農園」を先ほど見せていただきましたが、広いですね!

 

こっつぁん(以下こ)

120坪くらいかな。20年くらい前に畑を借りはじめたときは30坪くらいだったんだけど、だんだん広くなっちゃって。農家の人が「苗いるかい?」ってくれたりするんだけど、それが100本単位(笑)。ビニールマルチを張ったり雑草を取ったり、母さんと2人で手入れしているの。楽しいけど草取りは大変だね。

 

―宿の料理にも野菜をたくさん使っているんですよね。

 

冬以外はほとんど自家製の野菜を使った料理を出しているから。うちのキャッチフレーズは「採れた野菜でその日のメニューが決まる」。

 

うまちゃん(以下う)

実際そうだからね。今日はズッキーニがたくさん採れたからズッキーニ尽くし。メインはズッキーニの肉ばさみでサラダもパスタのソースもズッキーニ。漬物に見えるのはズッキーニのピクルスだし。

 

夏のある日の夕食メニュー。見た目ではわからないが実はズッキーニ尽くし。「1食で1週間分の野菜を食べた!」と言われることもあるそう

 

ー調理法も食感も全部違うから、言われなければ「尽くし」とは気がつかないかもしれません。・・・おーいーしーい! ひとつの材料でこんなにバリエーションが!

 

連泊の人も飽きないように1週間違うメニューにしているの。極力手を加えずシンプルに野菜の味そのままで食べるっていう感じですよ。

 

企業秘密だけどね、母さんノート付けてるの。前回お客さんが泊まった日の料理を見て、なるべく違うメニューにするの。

 

―一流ホテル並みの気配りですね!

 

宿をはじめたころは勤めに出ていたから、ヘルパーさんに「この料理の用意をしておいて」ってお願いするために書きはじめたんだけどそれが癖になっちゃって。それから30年以上ノートをつけているので、何月何日ころに野菜が採れはじめるとかもわかるわけ。

 

―すごい!

 

何回も来ている人だと嫌いなものって出てくるじゃない。それもきちんと把握して。あの人はセロリだめだから、とか。

 

でもわざと勧めちゃうこともあるよね。今日はセロリ入れといたからって(笑)。

 

ー畑には変わった野菜もありましたね。菜の花のようだけどブロッコリーの仲間のカイランとか、ピーナツみたいな形のカボチャのバターナッツとか。

 

しょっちゅう来てくれる人が多いから、食卓に驚きがないとね。「えー!?」っていうのがあるとおいしさが違うから。

 

ビーツを使ったピンク色のスープを出したり、冬だったらボルシチを作ったりね。

 

空心菜やケール、ハーブ類まで植えられた畑。採れた大豆で味噌も作っている

 

―わぁ、いいですね! お料理は昔から得意だったんですか?

 

得意って・・・、たいしたもの作らないもの。

 

実家が農家で忙しかったから、小学生のころから「おまえ適当に作っておけよ」って言われてたんだって。

 

私、先生になって定年後は小料理屋の女将っていうのが夢だったの。

 

なのにこんな変なのにつかまっちゃって(笑)。

 

―そもそもこっつぁんは、なんで宿をはじめたんですか。

 

まずね、高校を卒業してすぐ会社に勤めたんだよね。最初の勤務先は山口県の岩国。2年目からは地元の千葉に移ることになっていたから、1年間岩国周辺をぐるぐるまわって歩いたの。それまで旅行なんかしたことなかったんだけど、してみたらおもしろくておもしろくて。夜勤をやっていたから平日の昼間にうろうろできたし。ひとり旅の楽しさ、そしてさびしさもあって。親が教師で、それまでは箱入り息子だったわけ、ダンボールの箱だったけれども。その箱が壊れちゃったんだな(笑)。

 

―はは。

 

約束どおり千葉に戻されたあともあちこち旅行して、北海道のユースにも行ってみたけど・・・北海道っていうのはやっぱり怪しいところだね、危ないね。北海道に魅せられてっていう人いっぱいいるでしょ。

 

―そうですね。

 

オレも北海道はいいなぁと思ったけど、まずはユースをやってみたいな、と思うようになって。5年で仕事を辞めて、サブペアレントを募集していた山梨県の清里のユースへ。「なるべく長くいてほしい」と言われて「わからないけれどもいられるだけいます」というようなことを言っていたら、10年の月日が経っちゃった。

 

―あらら。

 

まぁとにかく、昔のユースはすごかったよ。その勢いもね。毎日100人以上のお客さんを相手にして。夏の夜のミーティングでは自分で作った怪談を披露することもあったよ。「こっつぁんのあの話は怖かったよ~」って言われたりしてね。外でキャンプファイヤーなんかをしたこともあったね。

 

同じく長野県内にある「ポッポのお宿」の谷口彰さん(左)とは、清里のユース時代からの知り合い

 

―それを10年! 

 

清里のユースを辞めてからは、野辺山でユースをやりたかったんだけど、すでにあるユースの数キロ範囲内には新しいユースをつくっちゃいけませんとか、承諾がいりますとかいろいろ面倒なことがあってね。で、自分で野辺山ではじめたわけ。とほ宿というものができる前ね。

 

―そこでもう37年ですよ。

 

惰性でやっているようなもんだ(笑)!

 

―北海道よりこの場所、と思ったのはなぜですか?

 

清里には10年住んじゃってたからね。この辺が気に入っちゃって。北海道じゃなくてもこんな広いところがあって北海道ほど不便じゃない。東京にだってすっと行けるしね。住むにはいいところだし、住んでいる人たちもいい人たちだから。

 

宿開業を目指し交際期間ゼロで

料理上手の妻にプロポーズ

 

―それで、久枝さんはどこでこっつぁんに「ひっかかっちゃった」んですか?

 

清里のユースで。

 

オレがプロポーズしに行った次の日に熱出しちゃってね(笑)。

 

突然広島にきて「結婚しませんか」なんていうから。

 

―…え、え、えー? そこ、もう少し詳しく教えてください! こっつぁんにプロポーズされた次の日、熱出しちゃったんですか?

 

だってそういう対象じゃなかったんだもん。

 

―おつきあいしてなかったんですか?

 

こっちからすればびっくりですよ。

 

―清里のユースにはどういうきっかけで行ったんですか?

 

ふつうにお客さんとして。東京にいた大学3年のときに、仲の良かった友達から清里を勧められて清里のユースに行ったんだけど、そのときはまだこっつぁんはいなくて。

 

2回目に行ったら変な人がいたんだわ(笑)。

 

そうそう(笑)。大学4年生の6月に行ったら、サブペアレントがこっつぁんになっていて。7月にはヘルパーをやったんだよね。それからちょこちょこ遊びには行っていたけど、特におつきあいとかそういうのではなく。

 

―大学を卒業された後は、広島に帰られたわけですよね。

 

そう。中学の教員を目指していたんだけど、当時は臨時で小学校の教員をやっていたの。

 

―じゃあ清里はちょっと遠くなりましたね。

 

夏休みとかに行っていたよね。

 

昔のユースなんて、そんなにいい食事を出していなかったじゃない。だからうまちゃんが来るって言うとお客さんが楽しみにしちゃう。「今日は自炊しよう」って。自炊って言っても自分で作るんじゃなくて、うまちゃんに作ってもらうためにお金を集めて待っている。オレが一番待っていたんだけどね(笑)。

 

たいしたものじゃないのよ。おでんだとか、みんなで食べられるようなものしかつくらないんだけど。

 

通称「トドの間」の談話室。万が一の場合、避難しやすいようにというこっつぁんのこだわりで客室など宿の空間はすべて1階にある

 

―プロポーズはいつだったんですか?

 

働きはじめて1年目の12月よね。福島でユースの集まりに参加するって聞いていたのに、「いま広島のユースに来ているんだけど!」って。

 

―それで「結婚しませんか?」って?

 

将来は宿をやりたいけど、一緒にやりませんか?って。

 

―それで熱出ちゃった。

 

インフルエンザだったのかも(笑)。よく覚えていないけど、校長先生と話していたら「すーっ」ってひっくり返っちゃって。

 

―そのとき、こっつぁんはまだユースのサブペアレントだったんですよね。

 

そう、最低の給料で。でも持っているお金の量は知っていたから。その前に通帳を見せてもらったことがあるの。こんなちゃらんぽらんやってるのに、けっこうあるじゃんって思って。

 

ユースの給料は安かったけど、5年間の会社勤めでけっこう貯まっていたんだよね。

 

―それで、「ま、いっか」って思ったんですか?

 

「ま、いっか」っていうか・・・(笑)

 

そうか、金に釣られたか…(笑)。

 

―いま明かされる事実(笑)! どれくらい考えて返事をしたんですか?

 

3日間お休みはいただいたからね。

 

―3日で決めたんですか!?

 

だって返事はしなきゃいけないじゃない。

 

―それにしても1か月とか。

 

いろいろ思い起こしてみると、もらっていたあの手紙はラブレターだったのかな、とか。こっちは全然そう思っていないからわからなかったけど。

 

鈍感だったんだよ。詩的感覚がないのよ。私は旅と孤独の詩人と言われていたくらいだからね。

 

―一体どこの誰が言っていたんですか!

 

その詩情豊かなる文をまったく理解しないで、へぇ~ってただ読んでいたんだ(泣)。

 

次々とおいしい料理を生み出す、うまちゃんの魔法の手

 

―・・・。こっつぁんは久枝さんのお料理上手なところを見込んで、宿を一緒にやろうと思ったんですか?

 

それもないとは言えないよね。

 

あとで「あのとき私に断られたらどうするつもりだった?」って聞いたら、次の人を探したねって。でもそういうもんだよね。目的があるんだから。まぁ、そのまんまで隠し事もない人だから。

 

―貯金以外もいいところはあるな、と。

 

そうそう(笑)。

 

なんでこんな話になるの(笑)?

 

でも、いよいよってなると冷静に考えるよね。損得も含めて。自分もだけど、相手の一生も背負うじゃない。ちゃんと責任もってやっていけるか、すごくまじめに考えたのよ。

 

―特に一緒に商売をやろうっていうんですからね。学校の先生になるという夢は諦めることになりましたが。

 

当時は臨時教員だったし。団塊の世代だから、どんなに倍率の低いところを狙っても7~8倍。実は15倍の倍率をクリアしてほかの地域の採用試験には受かっていたんだけど、リストに乗るだけで先生として働けるかはまた別だったし。

 

昼間っから濃い話してるなぁ。

 

―それで、ご結婚されたあとに宿をはじめたんですね。

 

結婚したころは、こっつぁんはまだユースにいたんだよね。私も清里に来てお勤めしていたし。

 

子どもが生まれて、保育園に入る2歳まではオレがユースに連れて行って面倒見ていた。と言っても、面倒見ていたのはお客さん。どっか遊び行くって言ったら「これ持って行って」っておむつ渡したりして。いまでも当時のお客さんがくると「あの子のおむつ変えてやったの私なんだから」とか言われちゃう(笑)。

 

ちょっとしたことをおもしろがる

そんな仲間の集まる場

 

―宿名の「こっつぁんち」はこっつぁんの家、という意味ですよね。

 

こっつぁんのおうちですよ、いつでも気軽に来てくださいよ、と。開き直って、ウリはこっつぁんですから!って。電話で「はい、こっつぁんちです」って言うのがちょっと恥ずかしいようなこともあるけど(笑)、つけてよかったと思う。名前で気がついてもらえて清里のユース以来何十年かぶりに会えたお客さんもいるの。

 

―清里にいた、あのこっつぁんかって。

 

宿泊者が思い出の写真を貼っていったアルバムの数々。これはそのうちのごく一部

 

まぁオレもそろそろ年だから、ここを誰かに売ってあげるよ。じじばば付きだけど(笑)。

 

―息子さんは埼玉県でイタリアンレストランを経営されていますが、ここでお店をやる予定はないんですか?

 

それはない。私たちは好きでここではじめたんだから、子どもたちも好きなことをやればいい。

 

ユースにしてもとほ宿にしても、次へ次へってつないでいくもんでもない気がするな。一代限りっていう感じで。この種の宿はそれでいいと思うんだよね。

 

継ぐとそこで感覚変わっちゃうじゃない。うちは自分たち限りって思ってるから。

 

とほ宿ってオーナーが特色ある人ばかりでしょ。

 

―はい(笑)。

 

だからその人柄をばんと前面に出すのもひとつじゃないかな、と思うんだよね。

 

―本当にそう思います。ただご飯を食べて寝る場所ではなく、宿主に会いに行く場所ですよね。・・・じゃあこっつぁんの特色、人柄というと?

 

あんまりうそをつかないとか? みんなにはうそつきだとか、ほらふきだとか言われるんだけど。

 

―それは実績があるからでは・・・。

 

例えばクマの話するでしょ。クマに会っても死んだフリしちゃだめだよ。木に登ってもだめだよ。川筋では川が気配を消しちゃうからクマと会う確立がすごく高いよ、と。オレなんかクマ鈴のほかに細かくちぎった白い紙をポケットに入れて行くんだ。もしクマと会っちゃったらぱぁっと投げてみる。そうするとクマは「雪だ、山に帰らなくちゃ」…。

 

―途中までまじめに聞いていたのに・・・。

 

こういう感じだから、本当のことを話してもうそばっかりってことになっちゃって。

 

―そうなりますって。

 

ともかくさ、自分がやりたいことをやればいいんだよね。それで納得できるし。私なんかどっちかっていうと軽はずみだから、「あ、これいいじゃん」って思うと、まずはじめてみる。だめだったらやめりゃいいっていう感覚。次の一手を考える。

 

結婚40周年を記念し、常連さんたちから送られた表彰状

 

うちではイベントもいろいろやってきたよ。まずオカマ大会でしょ。

 

―はい?

 

昔は「なんとか大会」ってよくやったのよ。

 

―なんですか、オカマ大会って。

 

河原で火をたいて、お釜でご飯を炊くの。3升炊きのお釜をそのためにわざわざ買ってね。

 

ーなるほど!

 

あとカンノウパーティー。

 

どういう字だと思う?

 

―…感謝の「感」…?

 

ヒント、宿をはじめて10年でやったの。それも1回きり。借金…。

 

―あ~借金「完納」! これは盛大にやらないと!

 

一体どんな字を想像したんですか?

 

―オカマ、カンノウと来たんで何かと思いましたよ。

 

こっつぁんが35歳で公庫のお金を借りて44歳になったときに完納したわけですよ。それでパーティーをやろうって。立食パーティーですよ。

 

怪しいマスクをしたりするパーティーじゃないよ!

 

まぁノリだよね。若いから!

 

ゴールドラッシュパーティーっていうのはトウモロコシ(の品種)ね。畑に行ってみんなで採ってきて庭で焼いて食べるっていう。

 

―ネーミングがいいですよね。

 

いまはトウモロコシパーティーになっているけど。最近は趣味が多様化しているじゃない。だからひとつのことをみんなでやろうっていうのは難しいところがあるけど、タラの芽天ぷらパーティーもやっているよね。

 

―そういうのをイベントにして、いちいちおもしろがっちゃうのがいいですよね。

 

あとはこっつぁんの古希のお祝いとか私たちの結婚45周年とか、お客さんが企画してくれたりするのもある。なんだかんだ言ってみんな集まる口実がほしいのかもね(笑)。

 

2018.9.18
文・市村雅代

 

 

旅人の宿 こっつぁんち

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〒384ー1305
長野県南佐久郡南牧村野辺山467
TEL 0267-98-2817

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次回(10/2予定)は「トシカの宿」吉沼光子さんです。

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