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旅の宿 ワインの国

「すべてはこの宿から。
この宿が僕の原点です」

旅の宿 ワインの国

さん 東京都出身。小学2年生から勉強漬けで特に中学~高校の6年間は、帰宅後すぐに机に向かい夜9時前に寝て早朝3時に起きて勉強する日々。テレビも見ず、「当時は何が流行っているのか全く知りませんでした」。1985年に宿開業。アウトドア関係の資格は70種以上保有している。鉄道をはじめとする乗り物関係のアイテム収集が趣味。
みかさん (写真右)東京都出身。半年間のOLを経て伸さんの事業に携わるようになる。現在実質的に「ワインの国」の運営を担当。大量に撮りだめたドラマ、映画を見るのがささやかな楽しみ。甘いもの好きで、帯広に買い物に出かけた時は何かを買わずには帰れない。
うーちゃん (写真左)東京都出身。新卒で伸さんの事業に携わるようになる。はじめての北海道旅行では東京からの往復に鈍行列車を使ったという乗り物好き。仕事でも地方をまわることが多いが、時間があると旅に出たくなるそう。

伸さんが開業した宿。現在の運営は主にみかさん、うーちゃんの2人が担っている。伸さんは、自分同様都会育ちの人に「いなか」を作ってあげたいと宿を開業。学生時代に全国を旅していた時に「もっと自然を使った遊びができないものか」と考えていたが、その思いを反映し宿ではパラグライダーなどの自然体験ツアーを開始。人気となり、そこから別事業を展開していった。

北海道移住のきっかけは入試

井戸掘りから改築まで自力でやり遂げ宿開業

 

―家族経営の多いとほ宿の中で、「ワインの国」は家族でない3人で運営している、ちょっと特別な宿ですよね。もともとは伸さんがひとりで建てた宿で、そのいきさつについてはHPの「ワインの国のなりたち」でも紹介されていますが。

 

伸さん

そうですね。でも最近はほぼ僕はいないので、かめりん(みかさん)とうーこの話をしたほうがいいんじゃない。たぶん僕と会う機会なんてそんなにないから。オレ幻すぎるだろ。

 

みかさん

ダメだって~。

 

うーちゃん

まぁ今はみかさんに会いに来てくれる人が多いからね。伸さんもいたらいたでおもしろいけど。

 

―どういう扱い(笑)⁉

 

みかさん

宿のHPでこの家を作ったストーリーを読んで、伸さんから直接話を聞きたいっていう人もいるしね。たまに私が宿を作ったって勘違いしている人もいるみたいなんだけど(笑)。

 

―はは。そもそもは伸さんが大学受験という口実で北海道に来たことがきっかけだったそうで。

 

伸さん

僕はひとりっ子で、家はひいじいちゃんの代からずっと都庁に勤めてる公務員一家なんですよね。それで僕も都庁に勤めるか、国家公務員になるかっていうことで小学校2年生の時から塾に通って勉強をしまくっていて。それ以外の道を考える術がなかった。鉄道好きだったので北海道には興味があったんだけど、受験のためっていうことでもないと北海道に行けないと思ったから、受験する気もないのに行って。

 

ーはは。

 

伸さん

試験自体は途中で抜け出して、その後は国鉄(当時)の周遊券を使って道内をまわってました。当時は卒業旅行で北海道に行く大学生が多かったから、ユースホステルに泊まるとお兄さんお姉さんたちがたくさんいて。そこで、これまで知っていたのとは違う世界があるんだ、って。

 

―気が付いちゃったんですね。

 

伸さん

で、帰って親に北海道に行きたいって言ったら大反対されて。

 

―そうでしょうね…。

 

伸さん

それで家出。親が捜索願いを出したんで、最初の1、2年は警察と追いかけっこ。その間に、実は大学にも入ってました。親に連絡を取ったのは池田に来て5、6年後です。

 

―それまで音信不通…!

 

伸さん

はい。

 

―大学の費用は自分でまかなったということですか?

 

伸さん

そうです。国立だったんでバイトすればなんとか。大学に入ってからはひたすら旅行するようになったんです。バイトしては旅行、バイトしては旅行っていう感じで普段の生活は極貧ですよ。テレビの企画で「1か月1万円生活」ってやってましたけど、1万円あったら余裕~という感じでした。

 

―それくらい旅に費やしてたんですね。

 

伸さん

当時は旅がすべてだったんじゃないですかね。単純なんですよ。ひたすら勉強していたヤツが、ほかの楽しみを知るとそこにハマるって。

 

サービスとして提供している充実の朝食。提供時間は8~9時

 

―旅先は主に北海道だったんですか?

 

伸さん

いや、北海道だけ見ていてもだめだろうって、日本全国へ。で全国をまわっていると、いい所がたくさんあるんですけど、違和感のある箱モノが建っているような観光地が多いことに気が付いたんです。で、「何でもっと自然を使って遊ばないんだろう」って思いはじめて。それで、まず自分で起業しようと思って。

 

―え!

 

伸さん

最初は沖縄に住むか北海道に住むかで揺れていたんですけど、北海道って「大地」な感じじゃないですか。そして移住者が多い。それで受け入れてもらえるかなと思って北海道にしました。

 

―場所探しはどうしたんですか?

 

伸さん

鉄道がないといろいろ困るだろうなっていうのがあったんで駅がある場所で考えていました。でも当時21歳。あちこちまわりましたけどほとんどの役場で相手にされなくて。「とにかく大学を卒業してから来なさい」って。

 

―うーん…。

 

伸さん

そんなんで道内をぐるぐるまわっていた時にたまたま池田町に行ったら、ちょうどお祭りの日だったんです。そうしたら、「学生だろ、肉食え肉食え」って。それで「あ~池田町いい所だ」って思うわけですよ、単純だから。

 

―あはは。

 

伸さん

それで「住みたいんです」って言ったら役場の人が必死に場所を探してくれて、1か所あるよって教えてもらったのがここだった。実は地主さんが東京の人で、ここを「リゾート地」だっていうことで買ったらしく(笑)。交渉しに行った時にここの写真を見せたら、驚いてた。森みたいになってたから。それで、「どうせ行く気もないから売るよ」って話になって。

 

―はは。

 

伸さん

価格は坪1万円でって。当時、650坪くらいあったのかな。僕は東京に住んでいたので、坪1万円でも安いと思ったんですけど、今だったら交渉して10分の1くらいに安くしてもらう(笑)。

 

―じゃあまずは約650万円が必要となったんですね。

 

伸さん

で、大学は2年でやめて、愛媛県で1年間バイトしてお金を貯めることにしたんです。650万円を目指して、朝が市場、昼はチリ紙交換、夜は建設作業員、土日はパソコンでソフトを作って売って。それで1年で結局750万円くらい貯めました。

 

―すごい!

 

伸さん

今じゃ絶対にできない(笑)。家は長年放置されて廃屋状態だったんで自分で直したんですけど、大工仕事なんかもしたことないから見よう見まね。この家は「家庭の大工」っていう本1冊で造ってるんだから。

 

―はは。勉強熱心なところが生きましたね。

 

伸さん

当時はまだ産業廃棄物を拾いに行けたので、サッシの枠とか材木の使えそうなのをトラックいっぱいに積んで何往復もして。この家の半分以上、いや7、8割は拾ってきたゴミですよ。

 

―それで形になるものですね。

 

伸さん

壮絶だったのは井戸掘り。粘土層だったので大変で。まず縦に掘るので1か月。

 

―うわー。

 

伸さん

で縦に掘り終わったら今度は水源から宿まで引っ張らなきゃいけない。冬凍らないように約2mの深さで30 m。それでまたさらに1か月以上かかったわけですよ。

 

―今もその水を使っているんですか?

 

伸さん

今もその水源です。だからうちの水はおいしいですよ。

 

―それにしても、よくやりましたね!

 

伸さん

僕には「いなか」がないので、いなかを作ろうと思ったのが宿をはじめたきっかけのひとつ。もうひとつは…僕、人と話すのが超苦手なんですよ。だからそれを克服しようと思って。

 

―旅の間はユースを使っていたようですが、そこではあまり交流しなかったんですか?

 

伸さん

最初は部屋にこもったり、少しだけ顔を出したりっていうのを繰り返してたけど、そのうちにみんなと騒ぐようになるわけですよ。当時の北海道のユースって、みんな“はっちゃけた”感じだったので、そこに照準を合わせて。

 

―振り幅が…(笑)。

 

伸さん

輪に入らずひとりだけポツンとしてても…なんかね。まぁ、宿をはじめても人と話すのが苦手っていうのは治らなかったけど(笑)、宿にあるものすべてに物語があるんで、最初の頃はそんな話をひたすらしてましたね。お客さんが喜んでくれたこともあって。

 

―最初はひとりで宿を運営していたんですよね?

 

伸さん

うちは基本的にヘルパーさんがいないので、ひとりでやっていた頃はお客さんに手伝ってもらいながらまわしていた感じ。「ワインの国」では10泊以上すると「国民」って呼ばれるんですけど、「国民」になった人は働かなきゃいけないシステムなんです。

 

宿で飼っているハクの散歩も「(犬好きな)国民」の仕事。「アイヌ犬だから気性が激しいのに、触れるなんてすごい!」みたいな感じのことを言ってお願いしていました(笑)、と伸さん。さすが!

 

―たくさん泊まってくれた、常連さんほど働くシステム(笑)。

 

伸さん

僕が料理だけ作ればあとは「国民」がやってくれるっていう。新しいお客さんが来たら、僕がここに座っていようが、「国民」がチェックインして館内の案内もしてくれて。テーブルも拭くし、掃除もする。

 

―あはは。

 

伸さん

「国民」が働いてくれるから。僕は何もしない。

 

―「国王」=伸さんの統率力が半端ない(笑)。この「国民」制度は伸さんが作ったんですよね。

 

伸さん

まぁ「ワインの国」っていう宿名ですから。

 

―この宿名の由来はなんなんですか?

 

伸さん

単純ですよ、池田町だからワインでしょ。で、ここは自分のはじめてのお家じゃないですか。一国一城の主になったな~みたいな感じでつけたんだろうと思います。

 

みかさん

お客さんははじめて泊まる時にパスポートを作るんです。

 

―おぉ、「国」っぽいシステム(笑)。

 

みかさん

そこに伸さんが作ったゴム判で判を押すんです。伸さん手先が器用なんで(笑)。9泊目まではそのハンコを使って、「国民」になる10泊目からはお客さんに自分でハンコを作ってもらって自分で押してもらいます。

 

伸さん

そのハンコは全部取ってあって、昔のお客さんが来てくれた時にも「あなたのハンコはこれね」って。

 

9泊目までのハンコも泊数によって絵柄が変わる。「国民」のハンコは個性様々

 

―そのシステムはうれしいですね~。そういう…お客さんの心をくすぐるのがうまいですよね(笑)。さすが「国王」!  

 

宿の自然体験ツアーが人気に

客数も増え、別事業へも発展

 

―開業までは苦労されていましたが、宿をはじめてからはどうだったんですか?

 

伸さん

当時は旅人宿全盛期だったから結構もうかってましたよ。

 

―それはよかった。

 

伸さん

実は24、25歳ぐらいの時に池田町の観光協会の理事になったんですよ。

 

―24、25歳で⁉

 

伸さん

そう。池田町ってすごい先進的だなと思ったんですけど(笑)。若くしてなったので新聞とかにも載ったりして。そんなんだから僕も力入っちゃって。テレビを見ていたらパラグライダーというものが日本に入って来たってやってたので、池田でもパラグライダーをやったほうがいい、まだ北海道ではどこもやってないしって提案したら、危なくてダメだって。だったら自分でやろうと。長野県に習いに行ってライセンスを発行できる教員になったんですよ。

 

―でも、道具の必要なスポーツなので、先行投資が必要ですよね。

 

伸さん

宿がもうかっていたので、株式投資をしていたんです。そうしたらバーンと稼げたんで、それを元手にパラグライダーの機材をバーンと買って「ワインの国パラグライダースクール」をはじめたんです(現在は閉校)。

 

―おぉ。

 

伸さん

パラグライダーだけだと風が悪いとできないので、カヌーもはじめて。当時は「グリーン・ツーリズム」なんていう言葉もなかった頃ですけど、いも掘りとかの農業体験もやったり。それでだんだん体験型の宿っていうことでお客さんが集まってくるようになったんです。

 

―もうけが次のもうけに繋がってることがすごいですよね。

 

伸さん

おかげさまで。そのうち、なんだかんだで羊も飼いはじめたので、天気の悪い日もインドアで羊毛を使ったクラフト体験ができるようになった。僕がバイクに乗っていた頃は、浦幌町の尺別炭鉱にお客さんと探検しに行ったり、あとは希望者全員と大津(豊頃町)の海に行って夕日に向かって叫ぶ、なんていう青春っぽいこともしていました。

 

―はは。いろいろツアーをやられていたんですね。

 

伸さん

旅をしていた時に、もっと自然を使って遊べないのかなと思っていたこともあるし、宿は、僕みたいにいなかのない人のいなかになるように、と思っていたから、建物はぼろいけどぼろいなりに楽しめる方法を考えようと思って。お客さんと同じ目線でいろんなことを楽しむことが大事だなと思ったから最初の頃はそんなことばっかりやってた。で、そうすると地域のいい所をいっぱい開拓できるじゃないですか。

 

―確かに!

 

伸さん

その穴場を次に来るお客さんに教えてあげられる。そうすると、「池田ってワイン城くらいしかないかと思ったけど、こんなにあるんですね」みたいな感じになっていく。

 

―いい循環ですね~。

 

伸さん

今は野外体験がすごくはやってますけど、当時はトータルで野外体験をやっているのはうちくらいしかなかったんです。

 

―目の付け所がよかったですね! 

 

敷地内で飼っている羊の毛を利用したクラフト体験は1,100円~

 

伸さん

それで、アウトドアの体験を企画したりするような会社を平成元年(1989年)に設立したんです。その会社でいろいろやっているうちに、道外でも仕事をするようになって。それとは別に、1995年くらいかな、豊頃町の廃校舎を利用してアウトドア体験とインドア体験ができるような仕組みを考えたんです。使わなくなったプールを掘ってダイビングプールにしたり、スポーツクライミングをしたり。

 

―もう一大事業という感じですね。

 

伸さん

これが自然体験を修学旅行プランに反映したりする会社(後にNPO法人化)に発展していきました。

 

ー自然体験をフックにして、別方向に事業を展開したんですね。

 

伸さん

今はいくつかの省庁で観光関係のアドバイザーになっていて、宿での経験を元に、全国各地に行ってアドバイスしてくるっていう感じです。長い所では2年とか3年とか実際に地域に入って、お客さんが来るような仕組みを作ったり。成功している地域も結構あるので、僕としては満足しています。

 

―はじめて知りました! いやー「ワインの国」の背後に大きな組織があってびっくり。

 

伸さん

はは。宿では会社のことはほとんど話さないので。でもすべてはこの宿から。この宿が原点です。宿をベースにこういうことをやってきたから、地域とのつながり方もわかるし、地域の課題が見えてきたりするので。

 

―なるほど…。スタートとなったのは宿でのパラグライダーやカヌーの体験ツアーですが、元々そういうアウトドア・アクティビティには興味はあったんですか。

 

伸さん

僕、人と話すのが苦手でそれを克服するために宿をやったわけですよね。

 

―ええ、そうでしたね。

 

伸さん

それと同じように、僕、実は高所恐怖症なんですよ。それで、パラグライダーの教員免許や熱気球の操縦士免許を取ったりしたんです。

 

―えー!

 

伸さん

あとは船酔いも激しかったので船舶免許を取ったり、閉所恐怖症で水も嫌いで泳げなかったから、ダイビングインストラクターの資格も取りました。アウトドアの資格、僕70以上持っているんですよ。

 

―すごい!

 

伸さん

努力してできないのはいいけれど、努力もしないでできないっていうのがいやなんです。お酒も30歳を過ぎてから練習して飲めるようになったし。

 

―「挑戦してみたけどできなかった」、だったらいいってことですね。

 

伸さん

それだったら仕方がない。でも今のところ全部克服はできています。

 

―高所恐怖症って克服できるものなんですか。

 

伸さん

パラグライダーって飛ぶまで、斜面を駆け降りるところまでが怖い。ドキドキするわけですよ。でも飛んでしまえばもうしょうがないんですよね。もう足が着かないんですから。

 

―はは、そうですね。

 

伸さん

逆に言うと僕はお客さんの怖いっていう気持ちがよくわかる。だからお客さんが来てくれたんじゃないかな。インストラクターって基本的にその種目が好きではじめている人が多いので、お客さんの怖い気持ちがわかりづらいと思います。

 

―確かに! だからと言って、わざわざ苦手なジャンルに飛び込むのも…。

 

伸さん

でも、それまで知らなかった空とか海の世界を知ることで、別の視点から物が見られるようになりましたよ。

 

―なるほど。

 

伸さん

そういうのがまちづくりに携わる中ではものすごく生きてくるわけですよね、いろんな視点からものが見られるわけですから。

 

―苦手分野の克服にそんな副産物があったんですね。

 

すべての原点がこの宿

不便さも含め、このまま維持していきたい

 

―この宿も会社の一部なんですか?

 

伸さん

いや、ここは僕の個人経営になってます。ここが僕の原点なので。ほかの活動とは切り離してます。

 

建物は築約70年。玄関ホールの一枚板の天井や、男性用相部屋(写真)の欄間など古い建物ならではの見事なしつらえを残している

 

―みかさんとうーちゃんが来てくれて、伸さんの分も宿をまわしてくれるようになってよかったですね。ただ、3人がどういう関係なのかよくわからない人も多いと思います。

 

みかさん

「ヘルパーさん?」ってよく言われます。その割には宿を仕切っているので、お客さんはだんだん「???」っていう顔になる(笑)。私もうーちゃんも、元々は伸さんの会社がきっかけで、ここに来ることになったんです。

 

ーそうだったんですね!

 

伸さん

2人は元々宿をやろうと思ってたわけじゃないからね。そこはやっぱりちょっとかわいそうだったかなと思ってる。

 

みかさん

でも嫌じゃないからずっといるんですけどね。

 

うーちゃん

私たちの説明、難しいですよね、家族でもないし。宿を会社組織でやっているわけでもない。宿を手伝ってる人がたまたまその組織の人だったっていう方が正しいかな。

 

―おふたりはどういう経緯で伸さんの所に?

 

みかさん

知り合いが宿のお客さんだったんです。それで学校を卒業した春休みにここで3泊したのかな。お客さんとして来たのは実はそれだけ。その後、半年くらい東京でOLとして経理関係の仕事をしていたんだけど…。

 

―こちらに来ることになっちゃったんですね。

 

みかさん

なんとなーく。なんでだろうね。

 

伸さん

オレに聞くなよ、もう忘れちゃったよ。

 

―うーちゃんは?

 

うーちゃん

元々ただのお客さんですよね。学生時代、夏休みに友達と北海道に行くことになって、パラグライダーができる宿っていうことでここを選んだんです。

 

―そうでしたか。

 

うーちゃん

1、2泊の予定で来たんですけどとっても楽しくて。私たちはJRで来ていて足がなかったんですけど、連泊していた人たちがあちこち遊びに連れて行ってくれたりして…結局北海道旅行中、ここにしか泊まらなかったんですよ。10日間くらい。

 

―その後、伸さんからこういう仕事があるっていう話になって…。

 

うーちゃん

翌年の4月には東京から池田町に移住してました。

 

―決断早っ! 

 

みかさん

楽しいっていうベースがあったからね。

 

―今、宿を切り盛りしているのはみかさんですよね。

 

伸さん

すべてお任せしてます。宿の決算も後から聞くだけ(笑)。

 

―みかさんは伸さんが作ってきたこの宿のルールを踏襲しつつやってらっしゃるんですね?

 

みかさん

そうですね。変えたところと言えば…昔は朝食が和食でしたけど、私がパン好きなので洋食にして(笑)…あとは夕食の小鉢を増やしたくらいかな。

 

―その朝食はサービスとしての提供ですからね…すごい。そしてワインの国の夕食と言えばステーキ! 

 

夕食は国産牛のステーキに池田産の十勝ワイン1杯付き! 連泊者向けのハンバーグも隠れた人気メニュー

 

伸さん

夕食は最初「大人様ランチ」を出してたんですよ。肉料理メインの。

 

―お子様ランチならぬ「大人様」! いいアイデア!

 

伸さん

だけど、お客さんの人数が増えて大変になってきたからステーキにしたんです。ステーキだったら焼けばすむから。

 

―はは、それでいてインパクトもありますからね。そうやって開業当初から変えた物もあるようですが、建物自体はそのままですよね。

 

伸さん

よく「新築にしないの?」って言われるんですけどね。建て替えた方が維持費も安くすむと思うんです。冬は寒いし、地下水を使い続けるのも実はメンテナンスが大変だし。でも僕の原点はここ。ここで過ごす時間とか、ここでお客さんと会ったりっていうのはやっぱり大事なんです。だからこの家も壊さないでなんとか維持したいし、地下水も使い続けたい。これは最低限譲れないところで頑張ってます。

 

みかさん

昔ここに泊まってくれた人がまた来てくれた時に、「ここは変わらないね」って言ってくれるのがほめ言葉だと思ってます(笑)。

 

伸さん

新しい宿にもいっぱい泊っているだろう中で、うちの宿にも来てくれるってうれしいですね。まぁ施設はぼろいけど、友達のうちに遊びに行くようなもんだ(笑)。

 

2020.6.23

文・市村雅代

旅の宿 ワインの国

旅の宿 ワインの国

〒083-0047
中川郡池田町字昭栄49-6
TEL 015-572-5929

ワインの国ホームページ

次回(7/7予定)は「あしたの城」川上豊さんです。

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