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旅ing人の宿 ぼちぼちいこか増毛舘

「オレの人生は、宿を
やるための物だったのかな」

旅ing人の宿 ぼちぼちいこか増毛舘

平戸一休さん 大阪府出身。「一休」は宿でヘルパーをしていた時の旅人ネーム。日本一周の旅では訪れた町の雰囲気をつかむため、よく子どもたちに声をかけた。1986年、23歳の時に浜益村(現石狩市)の雄冬(おふゆ)で宿を開業し、後に増毛町に移転。息子2人の手が離れかけた頃に生まれた末娘は「オレの癒しだし、目に入れても痛くないって思う。孫ってこんな感じかな(笑)」。時間ができたら町の観光に関する活動をしたいと思っている。

国鉄(現JR)の就職試験に落ち、自転車での日本一周旅へ。当初は10か月で終える予定が、旅先での出会いが出会いを呼び最終的には3年半の旅に。特に小樽にあった旅人宿の宿主との出会いで宿をはじめることを考えるようになり、自身のような自転車乗りに便利な場所ということでまず雄冬で開業。後に旧増毛駅近くの老舗旅館を取り壊す話を聞き、その建物を残すために移転した。カヌーの体験あり(3400円~)。日本最北の酒蔵、国稀は宿から徒歩3分。

列車の運転士の試験に落ち

日本一周自転車旅へ

 

―列車の運転士になりたかったそうですね。宿のHPを拝見しました。

 

一休

そう。高校卒業して国鉄(当時)の試験を受けたんだけど落ちて。うちは国鉄一家で、3人いる兄もみんな国鉄に勤めていたんだけどオレだけ…。はは。

 

―また翌年受ける予定だったんですよね?

 

一休

そう。それで次の試験までに自分に自信をつけたいと思って、自転車で日本一周することに。最初は歩いて日本一周しようと思ったんだけど、計画してみたら1年で帰って来られないことが判明。

 

―はは。試験までには戻らないと。

 

一休

たまたま高校の友達に、小学生の時から学校の長期の休みを使って日本をまわってるヤツがいて、高校3年の冬休みに沖縄に行って日本一周完成って。それで、おもしろそうだからオレも連れて行ってって、冬休みに2人で沖縄へチャリンコの旅。でも毎日ケンカでさ。あはは。友達はガンガン走りたいんだけど、オレはこの時はじめて旅用の自転車を買ったくらいで、ついて行けないわけ。友達は「何で、最後の思い出の旅にこんなヤツを連れてきたんだろう」と思ったんじゃないかな(笑)。

 

―じゃあその旅を終えて、改めて自転車での日本一周の旅に出たんですね。

 

一休

7月に大阪を出発。母親はやっぱり心配して、電車で行きなさいって言ったんだけど、電車じゃ人の力を借りるからだめだって。

 

―「自分の力で」っていうところがポイントだったんですね。

 

一休

自転車は機械の力は借りるけど、自分でこがないと進まないからいいかなって。最初は毎日100キロ走って10か月で帰ってきて、2か月間試験勉強できるっていう計画だったんだけど、そんな風に進むわけないんだよね。あはは。1日目は120キロくらい走って頑張ったんだけど、2日目は50、60キロで、もうだめだ~って。乗っては降り乗っては降りして。

 

―あはは。

 

一休

それに、ただ自転車で走っているだけだとつまんないなと思って。走らない日は全く走らないことにして、自転車を置いて観光案内所で地図をもらって街歩きもしたりしてた。

 

―それもいいですね~。せっかくの旅ですから。

 

19歳でスタートした日本一周自転車旅。高校の同級生からおすすめされて行った下北半島の仏ケ浦は「仏像が何体も並んでいるような景色で日本でないようだった」と特に印象に残っている

 

一休

だから丸1年経った時にまだ北海道にいたんだよね。大阪から北に上がって行って。

 

―えー(笑)! まだ半分終わってないですよね。国鉄の試験のほうはどうしたんですか?

 

一休

電話で聞いてみたら「ことしは採用がない」って。国鉄からJRに変わる時で、高卒の募集がなかった。

 

―あらら…。

 

一休

普通なら「えーっ…」ってなるんだけど、オレの場合、まだ日本一周の途中だからラッキーって(笑)。余裕ができた!って。

 

―ははは。

 

一休

それで、結局北海道で冬を越したんだよね。越すつもりじゃなかったんだけど…。行く先々で、「北海道らしいバイトしなかったら北海道に行ったって言えないよ」って誘われても「いや、僕はいいんです」って頑なに断ってたんだけど、冬に差し掛かって野宿もできなくなったから、チリ紙交換のアルバイトをしたり住み込みでニセコのスキー場にあるロッジで働いたり、春になったら共和町で田植えのバイトしたり。その後は、まだ行ってなかった天売島、焼尻島と朱鞠内をまわってから小樽へ。実はニセコでバイトする前に小樽の宿に1週間くらい泊まってひと息ついてたんだけど、その宿がすごく楽しかったからもう1回行こうと思って。で1泊して次の日に出発しようとしたらオーナーが「ちょっとヘルパーやっていかないか」って。

 

―なかなか北海道から出られない(笑)。

 

一休

何日くらいですかって聞いたら、ちょうど1週間後にお祭りがあるからそれくらいまでいてくれないかって。1週間くらいならいいかなって。それで働くことにしたんだけど、そのお祭りが終わったら、また別の祭りが7月末にあるからそれくらいまでいてくれって言われて。あーいいですよって。でまた別のお祭りが…。「まぁ楽しいからいっか」と思って、結局8月31日までいちゃったの。ひと月半くらい。で、このままいたらまた北海道で冬を越しちゃうと思って。

 

―そうですよ(笑)。

 

一休

それで9月1日に思い切って小樽を出て南へ。途中で雪に降られたら終わりだと思って、とにかく急いで日本海側を下って行って。

 

―ようやく日本一周旅、再スタートですね。

 

一休

沖縄は高校3年の時に友達と行ったから、行くつもりはなかったんだけど、鹿児島県の佐多岬に行ったら「本土最南端」って書いてあったんだよね。それで「本土」か…って。日本一周してるんだから「本土」じゃなぁって。高校の時の沖縄旅では、波照間島と与那国島は行ってなかったから、これは行かないわけにはいかないなと思って。

 

―波照間島が、一般人が行ける日本最南端ですよね。

 

一休

それで鹿児島からフェリーで沖縄に。

 

―さらにゴールまで時間がかかる予感がしてきました…(笑)。

 

一休

フェリーに乗ったら、これから西表島の製糖工場に働きに行くっていう人がいて、ここでも「沖縄らしい仕事しなかったら沖縄に行ったって言えないぞ」って。いや、今からは無理でしょうから…って言ったら、聞いてやるよって。

 

―あはは。

 

一休

そしたらOKだったってことになって、「えーうそー」みたいな感じで(笑)。でまた越冬するの。今度は西表島で。

 

―えー!

 

一休

その製糖工場で働いた後は台湾に行ったり、その工場で一緒だった人の影響で自給自足みたいな生活を小浜島でしてみたり。

 

日本一周中に、沖縄から台湾へ。ビザが必要なことを知らなかったり、現地では日本に住んでいる知り合いを探してくれと頼まれたり、ここでも多くのドラマあり。写真は現地で知り合った人に衣装を借りて参加した祭りにて

 

―なかなかコマが進まない…(笑)。

 

一休

そのうち、小浜島の民宿のオーナーさんと知り合いになって、宿を手伝ってほしいってことになって。ダイバー向けの宿だったんだけど、オーナーさんがダイビングに行っちゃうとお客さんの送迎ができないからって。でも、オレ運転免許証持ってないんですって。

 

―あら、残念。

 

一休

そしたら免許を取らせてあげるからって言われて。

 

―すごい!

 

一休

石垣島にある「日本最南端」の八重山自動車学校で免許を取りました。

 

―すごい展開になりましたね。

 

一休

その頃免許取るのにかかったのが18万円くらい。ちなみにその辺りのユースで働くと1日1000円くらいもらえるっていう話だったんだよね。だからひと月3万円の給料と考えると教習所代と相殺するには6か月以上いろってことだなと思ったんだけど、その時でGW前。あと6か月したらもう11月になっちゃう。

 

―ま、まさか…。

 

一休

そんな時に沖縄を出ても自転車で走れないでしょって。で結局次の年のGW明けくらいまでそのダイビングの宿を手伝って。

 

―じゃあ、日本一周の最初の冬はニセコのスキー場、2年目の冬は製糖工場、3年目はそのダイビングの宿。ふた冬沖縄で越したんですね?

 

一休

そうそう。沖縄の方が長いのさ。

 

―日本一周中とは言え、スケジュールに縛られてない感じがいいですよね。

 

一休

自由だけはたっぷりあったから(笑)。

 

宿開業への不安感を吹き飛ばした

映画と宿主のアドバイス

 

―国鉄の試験はどうしたんですか?

 

一休

この年も募集はないって。それで、もうこれはオレに国鉄に入るなってことだって。

 

―さすがにモチベーションを維持するのは難しくなってきますよね。

 

一休

ただこの頃になると宿もいいなって思いはじめてて。小樽の宿で働いたのがなんせ毎日楽しくて。飲んでお金までもらえるって一石二鳥、いや三鳥くらい。こんないい仕事ないな、宿をやるのもいいかもって。まぁ実際にはじめたら、そんないいことばかりじゃないんだけどね、あはは。実は沖縄で過ごしたふた冬も、年越しはその小樽の宿に行ってたんだよね。最初は船で全部移動して、次の年は飛行機で。当時はLCCなんかないから、稼いだ以上に交通費使って。バカだよね~(笑)。

 

―でもそれほど行きたいくらい楽しい場だったということですね。

 

一休

で旅に出て3年目にようやく日本一周が11月に終わったんだよね。

 

―もう一生終わらないかと思いました(笑)。足掛け3年半ですかね。

 

一休

そう、冬になるぎりぎりでゴール。で、また年越しに小樽の宿へ。そしたらオーナーが、「宿をやりたいって言ってたけど、どこでやりたいんだ」って。それで北海道か沖縄か高知県ですねって話をしたのね。で、北海道だったらどこなんだっていうから、増毛ですかねって。

 

壁に夕日を描いた2階の談話室。増毛周辺では日本海に沈む美しい夕日が見られる

 

―なぜそこで増毛が出て来たんですか?

 

一休

北海道を自転車でまわっている時にいろんな人にすごくよくしてもらったんだけど、増毛での出会いが特に印象的だったんだよね。増毛にあった「科学館」(現在は閉館)に行ってみたらもう営業時間が過ぎてたんだけど、館長さんが中にいて、今日はどこに泊まるのって。いつも野宿してるから、って言ったら、じゃあうちに泊まれって。で、お風呂に入らせてもらってジンギスカンもごちそうになって。増毛って、なんていい人がいる町なんだろうって。

 

―ほんとですね。

 

一休

そういうことがあったから宿をはじめるなら増毛がいいって言ったんだけど、小樽のオーナーが、「うちにくるチャリダーが、羽幌と札幌には旅人宿があるけどその間にいい宿がないって言ってる。増毛だと羽幌まで80キロ、札幌まで120キロだけど、もう少し札幌に近い雄冬に宿があったらいいのになって。お前チャリダーだよな」って。それで明日探しに行くかって話になって。

 

―また急ですね!

 

一休

で雄冬に見に行ったら、ちょっと手を入れたら使えそうな家がひとつあったんだよね。その日はそれでとりあえず小樽に帰ったら、オーナーが「よし明日は増毛に行くぞ」って。え⁉って。また付き合ってくれるんですねって。でもオレはすぐやるとも言ってないし…。

 

―あはは。

 

一休

自転車でまわっている時から宿はやりたいと思ってたけど、料理なんかしたことなかったから料理学校入って勉強しようかなと思ってたの。ただ、同じようなことを考えている人と泊まり合わせた時に「冷蔵庫を開けて今日は材料がこれとこれがあるからあれを作ろうってできるようになりたい」って言ったらそんなの料理学校出たくらいじゃできないって言われて。

 

―なるほど。

 

一休

料理学校では切る、煮る、焼くとか包丁とぐとか基本の勉強。卒業後、料理店に入って5年くらいしたらそういうことができるようになるって言われて。料理学校で1年、店で5年でしょ。でもオレは人より遅い「ぼちぼち」な性格なんで、絶対それで終わるわけないじゃんって。

 

―あはは。

 

一休

8年後、10年後に宿をやる気持ちが残ってんのかなっていうのがあって。で、雄冬から小樽に帰ってからオーナーに実はこういうことが心配なんだって話したら、それだったらとにかくはじめてしまえって。はじめてもいきなり人は来ないから、その間に料理本を買ってきて自分の食べるものを毎日その料理本で作ってれば、人がわんさか来る頃にはある程度作れるようになるよって言われて。

 

―とにかくやってみろ、と。

 

一休

それもそうだなと思って。でもまだ、2割不安が残ったんだよね。たまたまその日にオーナーが見たい映画をテレビでやるからって一緒に見たんだけど、忘れもしない黒澤明監督の「生きる」っていう映画だったの。

 

―市役所に勤める人が病で余命わずかなのを知り、仕事に対する姿勢を改めて自分にできることをやり切る姿を描いた映画ですね。

 

一休

あの映画が、それまで抱えていた不安感を「とんとん」って吹き飛ばしてくれた。今すぐにでもはじめようって。

 

―そうでしたか。

 

一休

でもお金はないし、冬は準備ができないから、とりあえず春まで働いてお金を貯めようって。だから春までは朝6時から夜10時までバイトを2つ掛け持ちでお金貯めて。…「生きる」は、今でも何かやろうか悩んでいるお客さんがいたら、「絶対見たほうがいい映画だよ」っておすすめしてます。

 

―それで雄冬で営業することになったんですね。結局増毛には物件を見にも行かなかったんですか?

 

一休

あ、それが、雄冬に物件を見に行った次の日に増毛にも行ったのよ。旅の時にお世話になった科学館の館長さんに、どこかに空き家がないか聞こうと思って。そうしたら、なんとその人がユースホステルのペアレントになってたんだよ!

 

―えー! 

 

一休

ユースじゃオレがやろうとしてる宿と客層が丸かぶり。世話になった人とお客さんを取り合うようなことはオレにはできない、増毛で探す気が失せましたって小樽の宿のオーナーに言って。

 

―それはそうですよね…。

 

一休

雄冬と増毛も近いんだけど、間に峠があって当時はへアピンカーブが続く国道231号でしか行けない上に、冬はその道も閉鎖。それくらいの場所だったら住みわけはできるかなと思って。それでとりあえず雄冬ではじめたんだよね。

 

宿には妻の純子さんが運営するカフェ「海猿舎」を併設

 

―建物は、その少し手を入れれば使えそうなものを使うことになったんですか?

 

一休

そう。でもどうしていいかわかんないから、建築関係の仕事をしていた大阪の友達に相談したらたまたま仕事を辞めたばかりだったんで、手伝いに来てもらって。別の友達も呼んで3人で改装をはじめたんだけど、オレはみんなの食事を作ってたからほとんど作業できなかったんだよね。朝ご飯作って片付けして。ちょこちょこって作業したら今度昼ご飯の用意して。で食べて片付けて。今度またちょこちょこってやったら夕ご飯の準備。だから改装はほとんどその2人がやってくれた。

 

―一休さんが心配していた料理ですが、何を作ってたんですか?

 

一休

すごい「男の料理」だよ。鍋とかジンギスカンとか。ただ野菜切ればいいだけ。宿の1年目の食事もそんな感じだった。鍋ジンギスカン鍋ジンギスカン鍋鍋、みたいな感じ。鍋も豚肉とか鶏肉を使ってたから、目の前が海なのに魚料理はないの?って言われたりしたけど、最初はそこまで地元で知った人もいなかったし。

 

―雄冬時代の宿名が「ぼちぼちいこか」ですよね。ご自身が「ぼちぼち」な性格だとおっしゃってましたが、宿名はそこからつけたんですか?

 

一休

いや、違うの。オレ自転車で日本一周してるでしょ。だから最初は「ちゃりんこのうた」っていう宿名にしようと思ってたの。でもひらがなとかカタカナで書いたら、ありふれてておもしろくない。「ちゃり」は「茶利」。「ん」は「?」で「こ」は「弧」。「の」はひらがなで「うた」は「詩」のほう。

 

―「茶利?弧の詩」??? 読めませんよ~。

 

一休

改装を手伝ってくれた友達にも「そんなの読めないよ」って言われた。

 

―あはは。

 

一休

他に何かある?って友達に振ってたら、もうひどいの。「ブラックホール」とか「地の果て」とか。雄冬は当時、陸の孤島だったから。そういうのばっかりだったんだけど、ある日友達のひとりがカセットテープをかけて、終わった時に、「『ぼちぼちいこか』でどう?」って。実はかけていたテープが上田正樹と有山淳司のアルバム「ぼちぼちいこか」だった。最初はなんてふざけた名前だろうって却下したんだけど…毎日考えてたら、こっちの宿名がオレの心を侵食していったの。話し言葉みたいな宿名がいいなっていうのもあって。で最終的にはそっちにしようかってことになった。ちなみに「一休」っていうのは小樽の宿でヘルパーをしていた時に付けられた旅人ネームなのさ。それ以来オレは宿関係では「一休」で通してる。

 

―そうだったんですね。

 

一休

宿名は「ぼちぼちいこか」になったでしょ。ぼちぼちいこか…一休み一休み…。あら!って(笑)。これってあらかじめ決まっていたのかなって、ちょっとぞくっとしたけど。

 

―うわ~…ほんとですね!

 

歴史ある宿の建物を引き継ぐことにし

増毛の街中へ移転、「増毛舘」に

 

―その後、雄冬から現在の増毛の街中に移転するわけですね。「ぼちぼちいこか」の第2部のはじまり。

 

一休

そうそう。ただでさえ長い宿名に「増毛舘」がついて、さらに長くなっちゃった(笑)。13年間は雄冬で営業してたんだけど、増毛町の議員をやってた友達から、ここの建物が壊されるっていう話を聞いて。当時、年配の人がひとりで「増毛舘」っていう旅館をやっていたんだけど、もう年だからやめるっていうことになって。で、建物はその宿主のものなんだけど、土地は別に地主がいて、更地にして返してくれって言ってるって。それで、新聞にもここが取り壊されるって出た後だった。

 

―かなりギリギリのタイミングでしたね。

 

一休

声かけてくれた議員さんは増毛の古い街並みを残したいって考えている人だったから、宿ならって、宿をやってるオレに声をかけてくれたみたい。

 

昭和7年(1932年)築の趣きが随所に残る館内

 

―近くには日本最北の酒蔵、国稀の古い建物もあったり、北海道では珍しい昔ながらの街並みを楽しめるエリアですよね。でも、すでに雄冬で13年も営業していたし、迷いはなかったんですか?

 

一休

だって迷っているうちにここ壊されちゃうもん。もしちょっとでもタイミングが遅かったら更地になってた。

 

―すごい決断力! じゃあご自身もこの建物は残すべきだって判断されたんですね?

 

一休

オレは大阪の町育ちなんで、古いものやいなかに対して憧れというか大事にしたい気持ちはあったから。

 

―そうだったんですね。そういうきっかけで増毛に。

 

一休

あと、実を言うと雄冬で営業している時に、そろそろ増毛に移ってもいいかなと思って建物を探しに来たことがあって。その時に、「増毛舘」は立派ないい建物だなと思ったんだけど、営業してたからね。

 

―そうですよね。

 

一休

まさかそれを自分がやるようになるとは夢にも思っていなかった。でも元々宿だから、許可関係は問題ないと思ったし、手直しも多少で住むかなと思ったの。春にその話が来て、手に入れる前に一応建物を見には来たけど、8月までは前の宿主が営業してたから、壁や床をはいだりできないでしょ。一応叩いたりはしてみたけど「わかんね~」って(笑)。

 

―あはは。

 

一休

台所だけは、歩くと酔ってもいないのにふらふらしたから(笑)直さなきゃいけないなと思ったけど、雄冬で普通の民家を改装した経験があったから、どうにかなるべって。

 

―前の方が8月で閉めた後すぐに修理に入ったんですか?

 

一休

オレはまだ雄冬で営業してたから、雪解け水が入らないように屋根だけ冬の前に修理して。99年の春から本格的に建物の中の修理を。でも実際作業をはじめてみたら、大変だった。土台はほとんど総入れ替え。建物ごとジャッキアップして柱を入れ替えたり。内壁も入れなおしたし。修理する前に「とほ」本の締め切りがあったから増毛での開業日を10月って決めちゃってたんだけど、そのおかげで最後は毎晩のように夜12時まで作業するはめに…。でも前の状態で70年くらい営業してたでしょ。しっかり直したからあと100年は営業できるんじゃない(笑)。

 

―頼もしい! 雄冬での開業当初は、食事が鍋やジンギスカンメインだったようですが、今は日本海を感じるメニューですよね。

 

一休

今はカミさんが作ってるから。

 

―増毛と言えば、の甘エビも夕食に登場するし。あと要予約で食べられるタコしゃぶ! かむとじわっとタコの甘みが…。

 

一休

お酒を飲む人には、国稀のお酒をおちょこ1杯サービス。着いたらまず酒蔵の見学がてら試飲→町内の日帰り温泉へ→戻って夕食っていうのがおすすめのコースです。

 

甘エビは殻付きで登場(漁のあった日のみ)。漁師さん直伝の上手な食べ方を教えてもらえる。この日のほかのメニューは砂つぶ貝、野菜と豚肉の蒸したもの、ナムル、ポテトサラダ等。タコしゃぶは要予約で1人前300円~。ほか要予約で甘エビしゃぶ(1人前500円~)もあり

 

―わぁいいですね! なんだかんだ言って最初に希望していた増毛で宿をやることになりましたが。

 

一休

そもそも小樽の宿のオーナーに出会ってなかったら宿はやってなかったと思うんだけど、開業してから34年。今は別にも仕事をしていて、いまだに宿で食えてはいないっていう葛藤が自分の中にはあるんだけど、とりあえず続けてはいられているから。

 

―そうですよね。運転士になるはずが、旅に出たことで宿をはじめることに…。

 

一休

考えても考えても答えの出ないことってあるけど、そういう時に「こっちに行け」みたいなことが起こるんだよね。

 

―お話を聞いていると、確かに流れに乗って来たような。

 

一休

ある意味オレの人生は宿をやるための物だったのかなとすら思えるかもしれない。毎日「今日も楽しかったね~」で終われたらいいなと思います。

 

2020.4.28
文・市村雅代

 

 

旅ing人の宿 ぼちぼちいこか増毛舘

旅ing人の宿 ぼちぼちいこか増毛舘

〒077-0205
増毛郡増毛町弁天町1-21-1
TEL 0164-53-1176

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