「お客さまがリラックスして
話したいことを話せる場に」
旅の宿 星の庵
秦和彦さん | 福岡県出身。兄の影響で旅に出るようになる。1991年に宿開業。今は夏の登山が楽しみ。ほか、島にある郵便局をまわっての「旅行貯金」をしている。「同じ所に繰り返し行くことはないから『旅人』になれるんです」。ダムカード集めの趣味もある。 |
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秦菜穂子さん | 北海道出身。独身時代から景色や花を楽しみに登山をし、写真も趣味だが「撮ったものを自分で見て喜んでいるっていう感じです」。「赤毛のアン(原題:Anne of Green Gables)」好き。宿の建物は物語に登場する家同様、緑色の屋根に。宿名は、開業したのが星のよく見える場所で古い建物だったことから「星の庵」としたが、ローマ字での表記は「Hoshi no Anne」と主人公の名前にかけている。 |
夫は高校時代からユースホステルを使って旅をしており、結婚して北海道で暮らしていくことを考えた時に浮かんだのが、宿の運営だった。妻は実家に近い美瑛でなら、と元農家の建物を使って開業。美瑛で暮らしながら町内で山が見えて静かな場所を探し、現在の場所にたどり着いた。宿の建物のうち談話室など平屋部分は職業訓練校で建築を学んだ夫が造ったもの。地元の野菜をふんだんに使った料理と、誰もが話のできる環境づくりにこだわっている。
ふんだんに手に入る野菜を
ひと手間かけてよりおいしい状態で提供
―丘にある一軒家で、「まさに美瑛!」という立地ですよね。
菜穂子
夫は、釣り好きで魚が好きなので宿をやるなら本当は海沿いがよかったみたいですけど(笑)。
―そうなんですか(笑)⁉ では宿の食事は…?
菜穂子
野菜中心ですね。この地域はとにかく野菜が採れるので。農家さんから直に仕入れています。今シーズン(2019年)は農家をやりたいっていうスタッフさんがいてくれて、うちの畑やハウスでもこれまで以上にいろいろ育てています。
―確かにこのあたりは野菜の産地ですけど、だからこそ同じ野菜がいっぺんにたくさん届いてしまったりしませんか。
菜穂子
トマトのシーズンになると、冷凍庫いっぱいに入ってますね。
―トマトをそのまま冷凍してるんですか?
菜穂子
いえ、夫がトマトの皮が口に当たるって言って全部湯むきして冷凍しています。
―それはまた手間のかかることを…。
菜穂子
お盆頃、宿が一番忙しい時期にトマトが出てくるので…。
―その忙しい最中に湯むきして保存する作業をしてるんですね!
菜穂子
そうです。そういう細かいところにうるさくて(笑)。
―はは。でもそういう細かい気遣いで味が全然違ったりしますからね。そうやって保存しておけば野菜があまり採れない時期にも使えそうですし。
菜穂子
結構利用していますね。あと冬は葉物がほんとに高くてあまり新鮮なものが手に入らないんです。だからキャベツとか大根とかは農家さんから買って雪の下に埋めて保存してます。
―越冬キャベツに越冬大根! 甘くなりそうですね~。
菜穂子
そう、すごく甘くなります。キャベツは30キロくらい埋めてますね。そういうものを冬のお客さんには出しています。
―ほか、お料理でこだわっているところはありますか?
菜穂子
なるべく北海道のものを出すように努力してます。北海道に来たからには北海道の物を召し上がっていただきたいなと思っていますから。お米は当麻町で減農薬で育てられた玄米を圧力鍋で炊いています。
―調理はどうやって分担しているんですか?
和彦
全部ひとりで作るのは大変だから、私が2つ3つ作って、うちのやつが2つか3つ作って。そうしないとやっぱり大変だから。
菜穂子
今、献立は私が決めていますけれど、夫に料理の経験があったので、宿をはじめた頃は夫主導で。私は保育園に勤めていて料理もそんなに作ったことなかったんです。だから手伝っていただけで段取りもわからなくて。最近やっとちょっと段取りがよくなってきた感じです。
―最初、宿の定員は何名だったんですか?
菜穂子
14、15名だったと思います。
―急にその人数の料理を作れと言われたら大変ですよね。
菜穂子
だからうちは常にスタッフさんがいるんですよね。毎年2人募集して、たいてい4~11月までいてもらっています。スタッフさんがいるから今、夏場に20人くらい受け入れられるのかなって思います。お客さんは宿に話をしに来てるっていうところもあるので、スタッフさんが同じ食卓について会話をすることによって、また来ようと思ってくださるみたいです。うちはやっぱりスタッフさんが前面に出てますね。私たち以上に。
―いいスタッフさんが来てくれると助かりますね。
菜穂子
本当に助かります。スタッフさんと生活を共にするのは大変だって言う宿の人もいますけど、若い人に入ってもらっていろんなことを教えてもらうっていうような感じ。持ちつ持たれつです。昔はなかなかうまくいかないこともあったんですけど、今はお互い好きにできるよう持っていけるようになったと思います。ただ、山に登るとか共通の趣味がないと、難しいかもしれませんね。やっぱり同じ方を向いていないと仕事もうまくいかないし。
ーそうかもしれませんね。
移転先を探してたどり着いた
山が見える静かな場所
ーそもそも宿をはじめたきっかけはなんだったんですか?
菜穂子
宿をはじめたいって言ったのは夫なんです。若い頃からユースホステルによく泊まっていて。私はほとんど旅行もしたことがなくて、宿って言われてもよくわからなかったんですけど…。だから宿をやるなら、せめて私の実家がある旭川に近い美瑛にしてってお願いしたんです。よく写真を撮りに来ていて景色も気に入っていたし。
―和彦さんがユースを使って旅をしはじめたのはいつ頃からなんですか?
和彦
高校時代。兄貴が旅人だったから。当時は国鉄の周遊券もあったしね。福岡の出身なんですけど、最初はやっぱり近場。鹿児島から山陰とか山陽あたりに行きだして、高校3年で北海道ですね。
―ひとりで、ですか?
和彦
ひとりで。夏休みに周遊券を使って3週間くらい。
ー福岡から北海道の鉄道旅って…。
和彦
結構ありますよ。1日半くらいかかる。
ー!
和彦
はじめに大阪まで行って夜11時台出発の急行「きたぐに」(当時)で青森へ。で青森に5時頃着く。朝じゃなくて夕方のね。そこから青函連絡船。
ー北海道に着くまでが、すでになかなかの旅ですね。
和彦
列車も寝台じゃなくて普通席だからね。北海道に入ってからは、時計まわりでぐるっと。
―なんで北海道に行こうと思ったんですか?
和彦
まぁみんな行きたがるでしょ。遠い所がいい。その後、卒業式が終わってからもまたすぐ北海道へ。就職するまで10日間くらいあったと思うけどその時間を使って積丹とか室蘭とか、夏に行ってよかった所をまわったんじゃなかったかな。だから当時はあんまり美瑛の辺りは来てないんですよね。
―夏と春、1年経たずに2回北海道を訪れたんですね。
和彦
でも就職してからは時間がなくてあまり旅はできなくて。転職する時の合間にどこかに行くっていう感じに。その頃はもう車があったんで、ユースに泊まりながら車で地元の九州一周とか。次に北海道に来た時も、仕事を辞めた後。車で来たんだけど、冬だったからフェリーで小樽に早朝着いて、明るくなってから近くでタイヤをスタッドレスに変えて。それから島牧村のユースに行ったのかな。小樽では寿司屋さんで雇ってくれる所ないかって聞いたりしたんだけど、小樽には仕事ないよって言われて。
―北海道には住む気で来ていたんですか?
和彦
そこまで考えてなかったけど、長期間はいれるかなって。その後、池田町のユースとか根室の宿にも行って。そこでも仕事する場所を探していたんですけど、泊まった宿で職業訓練校のことを知って旭川の訓練校を受けてみたんです。
―宿の建物はご自身で造られたと聞いていますが、この時に建築系の勉強したんですか?
和彦
いや、この時は木工系。訓練校を卒業した後、木工系の仕事をしていたんだけど、訓練校の先生に誘われて今度は建築科に通うことになって。ちょうど前の宿の建物を手直している時で、直しながら学校に通ってました。
―そうなんですね。もともと木で何かをつくったりするのは好きだったんですか?
和彦
実家が木工所みたいな感じで木を扱ってたから。このテーブルの天板も実家から持ってきたんですよ。イチョウの木。車に乗らないから2つに切っちゃって。
―そうだったんですね。旭川にいらしたということは…この時代に菜穂子さんと知り合ったんですね?
和彦
まぁそうですね(笑)。
菜穂子
宿をはじめるまでは旭川で暮らしていました。
―開業前は宿と関係のあるようなお仕事だったんですか?
和彦
全然関係のない仕事ですね。宿でヘルパーもしたことはないし。
―そうでしたか。いつ頃から「宿をやろう」と思いはじめたんですか?
和彦
結婚して子どもも生まれて。でも北海道で暮らそうと思うとなかなか厳しいものがあって。
―勤めることも考えていたんですか?
和彦
少しは考えましたよ。でも自分でやった方がいいかなって。
菜穂子
そうですね、お金の問題もありましたね。お金はずっとないんです(笑)。自転車操業、ははは。
―いやいや、男性にも女性にも人気の宿じゃないですか~。
菜穂子
たくさん泊まってくださるんですけど、たくさん出ていくんで(笑)。
和彦
最初はすごかったですよ。本当にお金がなくて。小さい炊飯器しかなくて、お客さんからお金を受け取ってから大きい炊飯器を買いに行ったりしたこともありました。
―お米じゃなくて、炊飯器を⁉ あはは。
和彦
そういうエピソードもあります(笑)。
ー宿をはじめたのはここではなくて町内の別の場所だったんですよね。元農家さんの建物を使っていたと聞いています。
和彦
国道を挟んで反対側だね。
菜穂子
そこでの営業は2年半くらいですね。
―現在の場所はどうやって見つけたんですか?
和彦
前の場所は譲ってもらえなかったので、どこかいい所ないかなって美瑛で探して。山が見えて静かな所。ここ以外にも候補地はあったんだけど、先を越されてしまって…でも先越されてよかったよな。ここには古い家が建ってたんだけど、持ち主の農家の人に買いたいって言ったら、親切な人で、土地は宿が軌道に乗ったら売ってあげるよって。それまでは借りることにして。
―いい場所といい方にめぐりあえてよかったですね~。ここ、広さはどれくらいになるんですか?
和彦
400坪くらいかな。
―結構広いですが、元々それくらいの広さが欲しいと思っていたんですか?
和彦
よその人の家が近くに建つのがいやだから。
―確かに、これで近くにほかの建物があったら…。
和彦
いやでしょ(笑)。
―建物はすべてご自身で造られたんですか?
和彦
2階建ての部分はプロに造ってもらって、玄関から談話室とかがあるエリアは自分で。
菜穂子
2階建ての方をまず造って、私たちが移って来てから談話室のある方をぼちぼちと5年くらいかけて造ったような感じですかね。それ以降も毎年直す所は結構あって。お風呂場の壁の木を張り替えてみたりとか。テラスの張り替えとか。
―お風呂場はヒノキがとてもいい香りでした! そうやって毎年のメンテナンスでこの環境を維持しているんですね。菜穂子さんは、あまり旅行もしたことがなかったということですが…。
和彦
うちのは、ユースとかほとんど泊まったことない人だったから。
菜穂子
だから、相部屋なんてとんでもない!っていう感覚でした(笑)。ユースは気軽に泊まれるので、今はよく使ってますけど。
―ご自身があまり旅行もしたことない状態から宿を運営することになって、大変じゃなかったですか?
菜穂子
ほかの宿に泊まりにいって、勉強しました。夫が泊まったことのある宿とか…とほ宿も半分くらい泊まっていると思います。ほかの宿に行くと、こうしたほうがいいなっていうのが見えてきて、すごく勉強になりますね。今もユース、とほ宿に限らずいろいろ泊まりに行っています。
休館日には大好きな
登山でリフレッシュ
―最初は暮らしのことを考えて宿をはじめられたようですが、もうすぐ開業から30年ですよ!
菜穂子
最初は「料金の安い旅人の宿」っていう感じではじめましたけど、今は、お客さまによりリラックスしてもらって、しゃべりたいことをしゃべって、家みたいに「帰って来られるような」宿にすることに重きを置いています。繰り返し来てくださる方も多いんですけど、とにかくはじめて来た人を大事にしたいと思っているんですよ。スタッフさんにもその辺を意識してお客さんと会話をしてほしいって言っています。
―夕食の時や食後のお茶の時間に、秦さんご夫婦やスタッフの方がお客様にうまく話を振っていらっしゃるなぁと思っていました。
菜穂子
お客さんがここに来て、何も話さないで帰るっていうことはないようにしたいんですよね。
ー夕食後にランプを灯してお酒やお茶を飲むようになったのはいつからなんですか?
菜穂子
オープンの時からですね。最初の建物の時からです。夫が、こういう宿ではいろんな人と話せる時間が一番大事だからって言って。
―ランプの灯でお茶会をするのは何か狙いがあったんですか?
菜穂子
暗い方が話しやすいですよね。
―そう思いました!
菜穂子
女性の方はお風呂上がりだったりすると、何かと気を遣うじゃないですか。
ーはは、確かに。
菜穂子
…あと夏は虫が入ってきてしまうからです(笑)! まわりに光源が何もないので…。
―あ~(笑)。そういう事情もありつつ。でもランプの炎ですごくリラックスできますよね。リラックスと言えば…近年は繁忙期でも営業日を絞ってますが、このスタイルは当分続ける予定ですか?
菜穂子
そうですね。
―休館の時は何をされているんですか?
菜穂子
登山です。登山ばっかり。
―どの辺りへ出かけているんですか?
菜穂子
近場が多いですね。あとは十勝の方に泊りがけで行く時もあるし。
―ここは登山するにはいい場所ですよね。
菜穂子
そうですね。本当にいい山があって。夫なんて、富良野岳に3回も登ってますよ。
―そうなんですね!
菜穂子
私はまだことし2回なんですけど。
―あ、これまでではなくて、今シーズンの話! すごい!
菜穂子
夫はひとりで行くのが好きなので、車中泊で。
―昔はユースに泊まっていたのに…(笑)。
和彦
最近ひとりの時は車中泊。今は年を取ってきて朝早く目が覚めるでしょ(笑)。そこから荷物まとめて山に登るとか、今日は天気いいからどこ行こうとか。
ーそういう自由が車中泊の方がきくというわけですね。
和彦
そうですね。うちから見える山にはたいてい行きましたよ。ほかも、200名山は行ける所には行こうと思ってます。山のいい時期って限られるじゃないですか。お客さんからは「なんでこういう時に休むの」ってお叱りを受けたりすることもあるんです。だからすいませんって。でも宿を継続するために休みを多く取っているんですって。
―そうですね。適度にリフレッシュしながら長~く宿を運営していただきたいです!
和彦
そうやって言ってもらえるとうれしいですね。
2020.4.14
文・市村雅代