「『ずっと笑ってる旅』の
お手伝いができたらなって」
遊・民宿 笑旅~NicoRi~
中西令子さん | 三重県出身。2019年開業。小学生の頃からの2時間ドラマ好き。1度見て犯人を知っているものでも、映画を繰り返し見る感覚で観賞しているそう。ヘルパー歴20年以上だが、休憩時間に「寝るかお風呂入るか2時間ドラマを見るかだったらドラマを見てました」。旅先で「その場所の雰囲気にあった」石を集めるのが趣味。 |
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旅をきっかけに北海道に興味を持ち、知人の影響もあり仕事を辞めて通年北海道で過ごすことを決意。とほ宿のヘルパーとして過ごすうちに北海道で暮らすことを考えはじめ、会社員とヘルパーの2足のわらじをはいた生活が結果として20年近く続いた。その後、親の希望もあり地元の三重に帰ることにし、この機会に、と開業を決意。建物の改装には北海道で知り合った40人、延べ200人が手弁当で駆け付けた。
思い込んでいた人生とは違う道がある、と
仕事を辞め北海道へ
―2019年9月に開業。おめでとうございます。
中西
ありがとうございます。
ーみなさん、まず最初に「この宿名なんて読むの?」って思うのかなと…(笑)。
中西
「にこり」です(笑)。
―中西さんは「小さな旅の博物館(ちい旅)」(小樽市)で20年近くヘルパーをしていたんですよね。
中西
はい。宿もワンワン(「小さな旅の博物館」の宿主、遠藤毅さん)に影響を受けてはじめるわけだし、ワンワンに名付け親になってって頼んだんです。最初は「おうっ」て言ってたのに、だんだん「名前くらい自分で思いを込めて付けろ」っていうことになって。
―はは。
中西
よくワンワンが、家を出てから帰るまでが旅なんや、自分ら宿の人間は、お客さんが無事お家に帰れるように送るのが仕事だって言ってたんです。それで、旅人が家を出てから帰るまでずっと笑っていられたらいいなぁと思って。楽しい時もおいしい時もうれしい時もぜーんぶ笑顔じゃないですか。そういうふうにずっと笑ってる旅のお手伝いができたらなーって思ったら「笑」っていう字を使いたくなって。「ちい旅」の影響を受けた宿の名前には「旅」の字が付くので、「笑」は当て字で「にこ」、「旅」は「りょこう」の「り」で「にこり」にしようって。
―りょこうの「り」だったんですね。
中西
そう(笑)。でもこれじゃあ読めないから、ローマ字でフリガナをつけることにして。漢字ごとに最初の文字を大文字にして「NicoRi」に。これを友達に言ったら「すごいなぁ、考えたなぁ」って。「何が?」って言ったら「中西令子」でNとRを大文字にしたんやろって。
―…う、うわー、ほんとだ!
中西
自分では全く気づかなかったけど、後付けでそういうことにしておこうって(笑)。
―はは。宿をはじめるきっかけとなった「ちい旅」との出会いは20年程前になるのかと思うのですが、ご出身はどちらなんですか?
中西
三重県です。ここ、松阪市から車で30分くらいの所です。
―ヘルパーをやっていらしたということは、旅にも興味があったのかなと思いますが。
中西
三重県は日本の真ん中にあるので1、2泊で結構いろんなとこに行けちゃうんですよね。ただ、ひとり旅をする性格ではなかったので、旅行は必ず友達と行ってました。で社会人になってから、友達と「ねぶた」(青森県)見てみたいねっていう話になったんです。けど宿が取れなくて。もう休みは取っちゃってたのでどうしようかっていう時に、地図では青森の上に北海道というものがあるっていう話になって。それまで一切興味がなかったんだけど、しゃあないから北海道行く?って。
ーはは。
中西
それでハマって毎年夏は北海道に行くようになったんですよね。
―最初に北海道へ行った時は、どこに泊まったんですか?
中西
その時はまずレンタカーでまわることを決めて。だいたい1日100キロか150キロくらい進めるかなって地図上で見て、ポイントになる町の役場の観光課に電話して、近所の安い宿を教えてくださいって。その中にたまたまとほ宿の「おかせん里」さんがあったんです。
―美瑛町のとほ宿ですね。
中西
当時は移転する前で、深山峠(上富良野町)の近くにありました。ちょうど自分たちが通るルート上にあってわかりやすいなって。
―最初は「安い」っていうキーワードで探したんですね。
中西
そう。でも、そういう旅をするんだったらとほ宿が便利だって言われて、「おかせん里」さんでとほの本を買って。それで翌年、北海道に来た時は全部とほ宿に泊まりました。
―その時も同じお友達と?
中西
そうです。その後、仕事を辞めた同じ会社の先輩が、ひとりで北海道に行ってきた、すごい楽しかったってあまりにも言うから、また私も行きたいっていうことになって。北海道で会った人から夏以外の季節も来た方がいいって言われていたのもあって、住まなあかんなぁって会社辞めて。
―いきなり! フットワーク軽すぎますよ(笑)。その先輩の影響もすごい!
中西
その先輩、ここから10分の所に住んでて今もしょっちゅう会うんやけど、「私がこんなんなったのはあなたのせい」って、いつも言ってる(笑)。
―本当にそうですよ(笑)。
中西
北海道ではどこかでヘルパーでもさせてもらおうと思って、遊岳荘(美瑛町)に行ったんです。
―その前に泊まったことがあったんですか?
中西
なかったけど美瑛にあるから女の子がきっと多いぞと思って。実際には男性のお客さんが多かったけどすごく楽しくて。「令子ちゃん、天職だね」って言ってくれた人も何人かいたんだけど、ヘルパーなのでこれで生活はできへんしなーって。
―ヘルパーは食事と寝る場所は保証されますけど、お給料制ではないですからね…。
中西
その時は5~10月のまず半年間。あと冬も行って。その後も「仕事が決まってなかったらまた来て」って言ってもらったんで、もう一度夏に行って。その時に「『ちい旅』のおかみさんと似とる」っていう話が出て、それで行ったのかな。
―あ~確かに、目が優しそうなところが似てるかも! この時が初「ちい旅」だったんですか?
中西
遊岳荘の仕事の合間にも行っていたと思います。で、この時は夏のヘルパーの仕事が終わって9月20日ぐらいに行ったんですよ。…その頃って六花亭の栗きんとんが10月だけのお菓子だったんです。
―はい…?
中西
10月に北海道にいることなんてもう一生ない、買って帰ろうって。そうなるとあと10日程北海道にいなきゃいけない。だからその間に「ちい旅」とほかのとほ宿を行ったり来たりしてたら、ワンワンがそんなに暇なんか、だったら1日宿で留守番しとってって。で、留守番役が終わったら、その10日後にちょっとした集まりがあるから手伝ってって言われて。で、その後もそのままスタッフしていけっていう話になって、結局10月は1か月いたんです。
―…もはや六花亭は関係なくなってますけど(笑)。ほかのとほ宿にもよく行ってたんですか?
中西
遊岳荘でヘルパーをしていた時、宿を閉める時はスタッフも出なきゃいけなくて。その期間を利用してあちこち行ってたと思います。
―ヘルパー+旅で北海道満喫ですね~。
中西
当時は、就職して3、4年したら結婚して子どもを産んでっていうのが当たり前ってどこか思ってたんです。そしたら、3、4年が過ぎて…25歳の頃に「あれ、過ぎたぞ」って。それまでは、「そうするもの」ってすごく思い込んでたけど、3年しか働かないつもりやったのにもう6年も働いてしまった。それでもう自由にしていいのではないかと。そういう時に先輩が仕事を辞めてひとりですごく楽しそうにしてて。
―お仕事もあっさり辞めてしまいましたよね。
中西
その時の先輩とか後輩は今も連絡取ってて、しょっちゅう遊びにも来てくれる仲良し。職場の人間関係はすごくよかった。ただ仕事は普通の事務だったんで、特別この仕事がやりたいっていう感じでもなく。
―親御さんとかまわりの方は「えっ!?」みたいになりませんでしたか?
中西
親はそうでもなかったんだけど、友達からは「帰ってくるんやろうな?」ってすごい言われた。でも北海道にいるうちに今度は北海道で知り合った人たちから「こっちに住んじゃえばいいのに」って言われて(笑)。
―はは。
中西
じゃあ仕事が見つかったら北海道にいるし、見つからなかったら帰るか―って言ってたらたまたま札幌で仕事が見つかって。
―それで北海道に住むことになったんですね。
中西
会社員になってからも、知ってる旅人が泊まりにくると連絡が来たから、しょっちゅう「ちい旅」に行ってました。私の着替えセットが365日置きっぱなしやった。いつ呼ばれてもいいように。
―会社の夏休みとかは「ヘルパーに来て!」って言われそうですね。
中西
来るものと思い込まれてた(笑)。会社の休みどころかその前から夏の忙しい時期は「ちい旅」に詰めて。
―会社に行きながらですか?
中西
忙しい時は会社から「ちい旅」に帰って、夕食はおこちゃん(遠藤さんの妻、久美子さん)が用意したものを出して。飲み会は「私は明日早いから」って言いながら12時とか1時くらいまでつきあってから寝て。5時半くらいに起きて朝ご飯を作って7時くらいに出て行くという生活を夏の間よくやってました。
ーめちゃめちゃハードじゃないですか。
中西
めっちゃハード。自分でもようやったと思う(笑)。
―それもヘルパーですから、バイト代が出るわけでもなく…。
中西
私も「ちい旅」に行って楽しいのもあったし、旅人が「令子さんおる?」って言ってくれたらうれしいから行こうと思う。それに今、当時の私の働きが帳消しになるくらい…いやそれ以上、ワンワンにはうちの宿の改装のために働いてもらってるから(笑)。
―はは。その会社員兼ヘルパーの生活はどれくらい続いたんですか?
中西
17、18年はそういう生活ですね。
ーすごい!
中西
私はずーっと北海道に住むつもりで。自分で生活する分のお金だけ確保して、「ちい旅」がある限りワンワンとおこちゃんの横で勝手にしゃべってお手伝いして、ご飯食べさせてもらってって。それが変わるとは思ってなかったです。
実家近くに戻ることになり
「夢にもなってなかった」宿開業へ
―そんな生活から一転、三重に帰ることになったんですね。
中西
札幌での仕事を辞めることになったのがきっかけです。仕事は何回か変わってるんですけど、最後に勤めていた所がこれ以上楽しい仕事は北海道にはないだろうっていうくらいむっちゃ楽しかった。正社員だったからお金もそれなりにもらっていたし。諸事情でその仕事を辞めることになったんだけど、その時点で私47歳だったんです。私の中で新しく仕事を決める時のルールがあって。給料が安くても今の仕事よりもやりたい仕事か、割り切って今よりむっちゃお金がいいかどっちか。「とりあえず」で働くとすぐに辞めたくなっちゃうだろうから。
―なるほど。
中西
でも、47歳で手に職のない人間が、転職して今以上にお給料が良くなることはまずない。しかもそれまでの仕事がこれ以上ないくらい楽しかった。そこでルールが崩壊した。「今以上やりたい」も「今以上お金がいい」もない。で、どうしようって思った時にふと、親が地続きの所に来れやんのかって話してたのを思い出して。それで、1回三重に帰るかなって。
―海を挟むとやはり距離を感じますよね。
中西
帰ってどうするかって思った時に、すぐそこに住んでる先輩と昔、宝くじが当たったらどうするっていう話をしたことを思い出して。その時に私は「民宿やりたい」って言ったんです。
―おぉ。
中西
とほ宿にはじめて泊まったか泊まらないかの頃。話したことは覚えていたけど、お金もないし、できるわけないと思っているから夢にもなってなかった。
ーそうだったんですね。
中西
ただ「ちい旅」にもこれだけ関わってきたし、この先自分ひとり食べていけて人様に迷惑をかけない程度に税金はきちんと払い、年に1回北海道に行けたらいいやって思って。で、宝くじは当たってないんだけど、色々算段したらギリギリ宿をやれるかもって。そう思ったらもうそのことで頭がいっぱいになって、ワンワンとおこちゃんに「民宿したい」って言ったら、おこちゃんはすごく賛成してくれて。ワンワンはどこか「本気か?」って思ってたみたいだけど、私が本気なのがわかってからは応援してくれて。
―いよいよ民宿の開業ですね。
中西
ただ予算がね…2017年の台風で実家が床上1.25m浸水して、物がなくなったんですよ。
―えー!
中西
実家が平屋だったので両親と一緒に濁流の中、胸まで浸かりながら2階建ての隣の家に助けてくださいって行って。
―命が助かってよかったです…。
中西
北海道から三重に帰った時に30箱荷物を送ったんだけど、それが全部水浸し。結局使えそうなのは30箱中4箱分しか残らんかった。
―そうでしたか…。
中西
まぁいらん物もあったから強制断捨離みたいなもんやったけど(笑)、必要な物は爪切り1個から買わなきゃいけなくて。予算ギリギリやったところに痛手がすごく大きかったんです。
ーそうですよね。
中西
それに加えて実家の片付けに1か月くらいかかって、物件探しもストップ。その後「ちい旅」に避難させてもらったりしたから、結局5か月くらい延期したんだけど、不動産屋さんに事情を説明したらすごく心配してくれて。私が希望しているような物件をいくつかキープしてくれてたんです。で物件探しをようやく再開して見に来たのがここ。不動産屋さんのいとこのうちだったんですよ。ただ私は、建物から畑とその向こうに山が見える物件を希望していたんですよね。
―郊外の方ということですね。
中西
いなかの方ばっかり探してました。ここはまわりに家があるし、希望していた景色ではないし、ここに来るまでの道もすごく狭く感じたので、これはないなぁと思ったんやけど、間取りがすごく良くて。トイレがもともと2つあったり、三重県の保健所の指導で台所も2ついるんだけど、それも造れるスペースがあって、間取り的には最高って。
―間取りの変更が少ないと工事費用も浮きますしね。
中西
だけど景色がな、とか道が細いしなってすごい悩んで。結局半年間考えさせてもらったんです。
―安い買い物ではないので、決断は難しいです。
中西
で、おこちゃんに「景色がさぁ」って言ったら、庭があったらいいやんって。ここ縁側があって、その目の前に梅の木があるんですよね。
―いいじゃないですか~。庭も広くて開放的です。
中西
「でも、近所に家もあるし」って言ったら、女ひとりで宿をするんやで、何かあった時に「助けて」って駆け込める家があったほうが安心やわって言ってくれて。
―うんうん。
中西
あと友達に、「道が細いでなぁ」って言ったら「バイクの人は飛ばさんで慎重になるよって、事故せんでええんちゃうん」って言われて、なるほどねーって。実際2tトラックも入れる道だったので、私の悩みは全部クリア。
―物は考えようですね、まさに。
中西
築50年のお家なんだけど中の荷物を全部自分で片付けることを条件に安くしてもらったりして、値段的にもなんとかなったし。
―中もきれいにされてますが、改装はワンワンさんはじめ、「ちい旅」関係者が手伝ってくれたと聞いています。
中西
そうですね。北海道で知り合った人たち40人。彼らの力がなかったらオープンは5年先になってたと思います(笑)。
「小さな宿」を生かした企画や
ランチ営業など、その先の夢へ
―今度こそいよいよ開業ですね。
中西
実は許可を取るまでが大変だったんですよ(笑)。三重の役所では、「宿」と言ったらいわゆるホテルとか旅館のイメージで、小規模な宿と言ったらゲストハウスか農家民宿。料理を宿の人間が作って提供する小規模の宿のイメージを伝えるのが大変で。宿主と宿泊客が一緒にご飯を食べるような宿だって話したら目が点になってた。大きなホテルの仲居さんがお客さんと一緒に食べるってありえへんって感覚?
―あはは。
中西
私は「とほ」の本に載りたいがための民宿やったんです。知名度もあるし、ずっと「とほ」で旅してたし。
―とほネットワークの一員になるためにも営業許可は取らないとですよね。
中西
だからすっごい保健所に通いました。何度も説明して。
―周囲の人には、中西さんがやりたい宿のイメージ伝わりましたか?
中西
本気にしない子もいたし、ここで宿をやるって言ったら「え、ここ?」とも言われた。「地元やで自分は好きやけど、ここに人来る?」って。
―確かに観光地ではないですね。
中西
物件は40軒、50軒じゃきかないくらい見たんです。その中で、ここが一番いいなって思ったし、住んでみたら近所の人がみんないい人。すごく助けてもらってる。「得体の知れやん人間が来て民宿するって、嫌がられたりしたらどうしよう」と思っていたんだけど、本当にいい人ばっかり。それにここの集落ってめちゃくちゃ子どもが多いんです。三世代で住んでいる家が多くて80軒しかないのに幼稚園から中学生までの子どもが30人近くいる。10年後も誰かいる地域です(笑)。
―それは心強い!
中西
あとワンワンとかほかのとほ宿主さんもよく「旅人は宿につく」って言うんですよ。観光地が近くになかろうが、それは関係ないよって。
―「とほ宿」は特にそういう宿だと思います。
中西
ただ北海道なら毎年行くっていう旅人もたくさんいるだろうけど、三重に毎年来るかって考えたら何かしらないとあかんなと思って(笑)。
―三重は伊勢神宮や鳥羽水族館といった全国区の観光地がいくつもありますよね。
中西
ここから伊勢神宮は40分くらい、鳥羽水族館は1時間ちょい。あと自分で日帰りで行ける所を撮影してきてまとめたのがこれです。
―この鬼ケ城という所、すごい迫力。人が一緒に写ってるから大きさがわかりますけど、岩がすごく大きいんですね。
中西
ここは一見の価値あり。あと千枚田で有名な所とか…実は一番おすすめなのは私が小学校の時に通った田丸城からの景色なんですけど(笑)。
―そういうローカルネタ含め、冊子にまとまってるといいですね。
中西
三重県のガイドブックを持ってても、距離感がわからないと行きたい所が実はすごく遠かったり。ランチもお客さんが行こうと思ってた所がここから2時間っていうこともあるから、宿から車で30分圏内のおいしい食べ物屋さんを集めたフォトブックも作りました。松坂って松阪牛が有名やけど地元の人間は、焼肉って言ったら鶏焼肉なんです。みそだれの。それが松阪のソウルフード。
―旅先ではそういう地元民に愛されているものを食べたいです! すでにいろいろされていますが、ヘルパー時代とは何か違いはありますか?
中西
ヘルパーだった時とやることは一緒。ご飯作って掃除して、なんやけど、前はワンワンがいたから。私がいらんことを言っても絶対フォローしてくれたし、ワンワンに会いたくて来た人たちばっかりだから、私が何をしようが痛くもかゆくもなかった。今は私しかいないから…。
―そうですよね。もし札幌のお仕事がまだ続いていたら…。
中西
あのままずーっと「ちい旅」スタッフとして働てたと思う。ただ60歳、70歳になってもそれでよかったのかって思うと辞めてよかったんやなって。
―いいタイミングだったってことですね。
中西
動けるうちに仕事を辞めて宿をはじめてよかった。一応思うた通りにはなっとるんやって。あとはいっぱい来てくれるといいんやけど。
―そうですね!
中西
ランチもはじめたいなと思ってて。近所の人がすごい楽しみにしてくれてるんです。完全予約制で1日1組にすれば食材も無駄にならないし。ランチに行くと、ご飯食べた後1回お店を出て、別のお店にお茶しに行く?ってなるでしょ。それが面倒くさい。ランチ食べてお茶までずーっといられるからって選んでもらえるようになればいいなって。
-小さいお子さんを連れた方にも需要がありそうですね。
中西
カフェをやる上でもまたこの間取りが良くて。
―玄関入って左がカフェ、右が宿のスペースというイメージですね。そう考えると本当にいい間取りでしたね。
中西
そうなんですよ。いざとなったらカフェの片付けをしないで宿の食事のしたくもできるし。そんな感じでゆくゆくは両立できるかなって。あと、女友達にはお泊り女子会で使ってって言ってます。この辺だと飲みに行くとしたら、家の人が迎えに来てくれる日に合わせたり、飲まへん子がみんなを送るとか。うちの宿だったら上げ膳据え膳で好きなお酒を持ち込んで夜までしゃべって、朝起きたらご飯食べて帰るってできるから。
―いいですね! 小さな宿だからこその企画、楽しみです。
2020.2.4
文・市村雅代