「この辺の野菜は特級品。
その野菜ありきで料理」
かみふらの 道楽館
外山秋彦さん | 北海道出身。温泉旅館に生まれ5歳の時から旅館の料理や掃除を手伝っていた。中学卒業後は高専に進み工業化学を学ぶ。卒業後はメーカー勤務を経て東京の広告関連会社でデザインの仕事をしていたが、北海道に戻り2002年に宿開業。以降、館内を使いやすいように改良を重ねてきた。自身曰く「ひとつのテーマを筋道立てて掘り下げて考えるタイプ。機能重視」。 |
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観光地で開業しようと、上富良野町の深山峠近くで宿をはじめる。当初は素泊まり宿だったが、周囲に飲食店がなかったことから必要に迫られ食事を提供するように。「簡単に調理できる」ということで使いはじめたダッチオーブンを振り出しに、料理方法、器具、材料の研究を重ね、現在では料理ごとに調理器具を使い分けるように。ここ数年は近隣で育てられている野菜を使った料理の研究に余念がない。5月上旬頃~6月下旬は「アスパラ・フェスタ」、6月末から8月中旬頃は「トマト・フェア」を実施。
5歳から家業の旅館をお手伝い
開業後は野菜の研究に熱中
―道楽館と言えばお料理を楽しみにいらっしゃる方も多いはず! メニューのレパートリーもたくさんあって、ブログのメニューリストから料理のリクエストもできるようになっていますよね。開業当初は素泊まり形式の宿だったというのが驚きです。
外山
まわりには飲食店があるものだと思ってたから。あはは。
―ふたを開けてみたらなかった、と。
外山
なかった。今はそれなりにあるけど、10年以上前は本当になかったんだよ。これじゃあダメじゃんって。
―お料理には元々興味があったんですか?
外山
実家が八雲町で温泉旅館をやってたから…興味があるというか、台所には5歳から立ってたし。
―5歳! その年で何をやってたんですか?
外山
洗い物とかちょっとした下ごしらえとか。
―すごい!
外山
そんなもんだよ、実家が宿をやってると。
―じゃあやるとかやらないとかではなく、気が付いたらやってた、みたいな感じだったんですね。
外山
忙しいとご飯も作ってくれないからね。自分のご飯も自分で作ってた。冷蔵庫の材料は勝手に使ってよかったから。
―じゃあ宿をはじめた時には、料理をすることには慣れていたけど、特に腕を振るってやるぜ!という感じでもなく。あくまでも必要に駆られて、やらざるを得なかったと。
外山
そんな感じだね。
―宿の看板にも描かれていますが、ダッチオーブンを使ったお料理が多いイメージです。食事を出しはじめた15年ほど前は、まだダッチオーブンはそれほど一般的ではなかったと思いますが、どこで出会ったんですか?
外山
宿のお客さんにダッチオーブンの使い手がいて「これラクよ、入れて焼くだけだから」って教えてもらって。
―はじめて作ったお料理は何だったんですか?
外山
何だったかな…。覚えてないね。昔はダッチオーブンを使った料理の本なんてほぼなかったからインターネットで調べて、使っている人たちと「こうじゃないかな?」みたいな感じで情報交換しながら作ってて。2年ぐらいしたらやっとレシピ本が出てくるようになった。今は使い手次第の道具だってことがみんなわかってきたんじゃない? 持っていてもみんな錆び付かせて、どっかにしまい込んじゃってるパターン。
―実はうちでもしまい込んでます…。
外山
あはは。使いこなすには相当技術と経験がいるのよ。
―じゃあ最初に聞いていたみたいに「ラク」っていう物でもなかったんですね。
外山
その人たちも手入れが面倒くさいってわかってきて、だんだん使わなくなって。人に勧めておいて何だよって(笑)。
―そうやって仲間が脱落していく中、外山さんが使い続けて来られたのはどうしてなんですか?
外山
うちは料理に合わせて道具を残してきたから。
―じゃあ今はダッチオーブン一辺倒ってことでもないんですね?
外山
揚げ物はほとんどダッチオーブン。よく揚がるのでそうしているだけ。お味噌汁はふつうの鍋を使ってるし。煮物、焼き物とか、料理によって器具を変えてる。だからどんどん道具が増える。
―以前鶏皮を揚げるためだけに使うダッチオーブンがあるとお聞きしましたけど、そうやって料理ごとに調理器具があったら、そりゃあ増えますよね! 談話室には宿で出している料理のレシピ集もありますが…料理に使う道具まで書いてある!
外山
自分が忘れちゃうから。
―これスキレットで作るって書いてありますけど、フライパンじゃダメなんですか?
外山
空焚きして使う料理だから。テフロン加工しているフライパンだと、傷むから使わない。
―こんな感じで道具を使い分けているから…。
外山
「すごくない? 調理器具の数」って言われる。
―メニューの数も100以上ありますが、どうやって増やしてきたんですか?
外山
材料から入ってる。
―この料理を作りたいから、この材料を買おうじゃなくて、この材料があるからこれ作ろうって。
外山
この地域って農家ばっかりなのよね。ここにあるものを使った方がよくない?って。手頃な値段でいい物がたくさん手に入るし。
―新鮮だし!
外山
例えば今ナスがたくさん出てるってなるとナスに関して調べ上げていく。野菜の性質や特徴をめちゃくちゃ調べるんだよ。どんなんだろうっていうのを追及してくとだんだん見えてくるの。
―見えてくるというのは、料理をするタイミングのことですか?
外山
うん。
ートマトを成熟度別に分類されていましたけど…あれもその調査、研究の一環ですか?
外山
一環というか結果。野菜でおいしく料理を作るには品質管理から、と気が付いた。それで、野菜を仕入れる時は少し多めに買って、自分で色味や手触りで分類してる。
ーそれで、その状態に合った料理を作ってるんですね!
外山
野菜って個体差が大きいから。流通してるトマトは早めに収穫したものだし、地元で出回っているのは「出荷できなかったもの」。トマトはヘタの所が黒っぽくなってきたら完熟なんだけど、誰も本当の食べ頃を知らないんだよね。だから農家さんに聞いたり自分で調べて、食べるタイミングを見てる。
―野菜の研究をはじめたのは、食事の提供をはじめて何年目くらいのことなんですか?
外山
3年目くらいかな。
―何かきっかけがあったんですか?
外山
お世話になってた大工さんが試験栽培のトウモロコシをあげるよって持ってきてくれたんだけど、生で食べられることにびっくりして。この近くの農家さんでも新しい野菜を作ってるんだって気が付いて。
ー外山さんにもそういう時代があったんですね(笑)!
外山
その次の年に白いトウモロコシが市場に登場したんだよ。その頃からこのあたりで作る野菜の改革がはじまったのかな。ちゃんとやれば売れる野菜ができるんだって。それまでトウモロコシは100円以下で売ってたのが、別の品種を作れば地元でも350円、東京ではその倍くらいの値が付くようになって。
―そうなると農家さんも「あれ、こっちの品種を作ったほうがいいぞ」ってなりますよね。
外山
農家の人が今、どんなことを考えているかとかも調べてる。
ーそういう所まで!?
外山
農家さんも1年ごとに作物の流れが変わるのよ。だから付き合いのある農家さんが今どんなことをやろうとしているのか、どんな作物に興味があるかも聞いたりして。コレという品種が見つからないと農家さんも迷走するの。だから今これがいいみたいよ、東京で高値で売れてるみたいよっていうのをつぶやいておいたり(笑)。それが売れるとほかの農家さんも作り出すしね。あと、自分が作ってほしいなっていう野菜があったら種を渡したり。
―いいですね! それ(笑)。アスパラガスは5、6月にフェスタ、トマトは6~8月にフェアと称して様々なバリエーションで食卓に上りますが、今、ほかに注目している野菜はありますか?
外山
今はね、レタス。すごくたくさんの品種があるの。
―そうなんですか?
外山
丸い玉になった普通のレタス以外にもすごくたくさんの種類があるんだよ。地元でレタスが採れる時期には、普通のレタスはほぼ使わなくなった。味、色、形、食感がまるで違う。
―そうなんですね。はじめて使う材料の時はドキドキしますね。
外山
お客さんに出して残らなかったら◎。残ったらダメ、みたいなことで判断してる。
ーはは。一番わかりやすい!
外山
この辺の野菜は特級品。観光ばかりが注目されているけど、農家が実はすごいっていうことがあんまり知られていないんだよね。北海道の本当においしい野菜を食べてほしいっていうのはある。
ー北海道にはこの地域以外にも野菜の産地はありますよね?
外山
地域によって得意な野菜が違うんだよ。このあたりは夏しっかり暑いから、やっぱり夏に採れるような野菜の出来が違う。お客さんの「うまい野菜が食べたい!」っていうリクエストにはなるべく応えているつもりです。
―質の高いものを外山さんがタイミングを見極めて出してるんですもんね。おいしくないはずがない(笑)!
観光地での開業後は
宿泊客の「便利」を追求
―でも…ここで宿をはじめたのは、野菜ありきではなかったんですよね。
外山
ここら辺は、はじめて北海道に来ようと思う人がまず最初に来る場所だったから、あはは。人が来るところで宿をやろうと思って。
―今は外国のお客様も増えてさらににぎわってますよね。
外山
それなりに観光地だと思って来たけど、これほどになるとは思ってなかったね。
―宿開業の前は東京で働いていらっしゃいましたが、全然違う業種ですよね?
外山
広告関係の仕事。
―なぜ宿を開業しようと思ったんですか?
外山
東京にいるのに飽きた(笑)! 16年いたけど年々暑くなるし面倒くさい仕事ばかりやってたし。お金があると楽しいけど、お金がないと楽しめない所なんだな、とも思ったし。で、北海道に戻って来ようと思ったんだけど、会社に勤めるのはチャンスに巡り合えないと難しい。それで事業を起こすとなると一次産業か観光か。で元々旅館の生まれだから…。
―宿を開業することにしたんですね。ご実家が宿だと、いい面と大変な面をご存知だったと思いますが、それでもやりたいなと思ったんですね。
外山
大変な面は知ってるけど、小さい頃から手伝いをしていたから抵抗はあまりなくて。
―5歳から台所を手伝ってたんですもんね…(笑)。
外山
掃除もしてたよ!
―あはは。ご実家のある八雲で宿をやろうと思わなかったんですか?
外山
実家はおじいさんの代で売っちゃったし、道南まで高速が通ったの最近だよ? 北海道の中心部との動線が悪いんだよね。
―場所はどうやって絞って行ったんですか?
外山
空港が近い所。
―旭川空港以外にも空港はありますよ?
外山
ほかの空港は、昔は飛行機の便数が少なかったもん。
―じゃあ新千歳は?
外山
観光地ないじゃん。
―はは。じゃあ、ほとんど旭川空港の周辺に絞られていたんですね?
外山
北海道の真ん中だから。真ん中に来ればなんとかなる(笑)!
ー宿の名前、「道楽館」はどういう意味でつけたんですか?
外山
開業当時は北海道の情報と言えば、観光の一般的なルートくらい。北海道にはもっといいものがある、北海道を楽しむ方法はもっとあるんだよっていうのを伝える所っていう意味でこういう名前にした。今はいろんな情報が出てきて、みんな自分で調べられるようになったけどね。
ーご自身が北海道の生まれで、かつ東京で暮らしていたことがあると、いろいろ見えることもありますよね。
外山
北海道って外から見ないとわからない部分と、住んでないとわからない部分がある。そういうギャップを埋めていかないと。だから、宿はとにかく道外から来た人にとって“コンビニエンス”な状態にしようと思った。開業当初は本当にまわりには何もなかったから、とほ宿には珍しく自販機も置いたし。北海道も暑くなるのを見越してエアコンも全室に付けた。
―確かに最近は北海道でも30度を超えることがあるので、エアコンがあると助かります。
外山
でしょ。
ー館内はすごくきれいにお掃除されていますが、最初は食事の準備がなかった分、比較的のんびりやれていたんですか?
外山
東京にいた時のバイク乗りの知り合いが遊びに来てくれたから、オープンした年はめっちゃ忙しかった。北海道に行きたいっていう人間ばっかりだったから。
―バイク乗りの時代があったんですね! バイクはいつから乗っていたんですか?
外山
16歳の時、原付の免許を取って。で、取ったらおじいさんからバイクを与えられて。
―いいおじいさんですね!
外山
それには理由があって…。旅館でお客さんに出す魚を釣って早く帰って来させるため。
―えー(笑)!
外山
ヤマメとかの川魚を、お刺身でお客さんのお昼に出すためにはイキのいいうちに帰らないといけないから。10時くらいに出て、12時くらいには帰って来いって言われる。捕れてから2~3時間くらいの新鮮な川魚だと、お刺身にするために皮をはいだ時にその柄が身にきれいに残るんだよね。だから新鮮さが命。
ーじゃあ一刻も早く帰らないと!
外山
それでバイクを与えられたの。
―旅館の子どもですね~(笑)。バイクで旅をするようになったのはいつ頃なんですか?
外山
バイクに乗りはじめた次の年に同級生が原付で北海道を1周してきたっていうのを聞いて悔しくて、自分も次の年に行こうと。
―どこをまわったんですか?
外山
海岸沿いを走ったり、親戚の家に寄ったりして2週間くらい。その後買った250㏄のバイクは道外の就職先にも持って行って、夏休みになると北海道に走りに来てた。実家には「元気でーす」ってちょっと顔出すだけで、あとはバイクツーリング。あはは。
―よく行ってた場所はありますか? 何回も通ったとか。
外山
とにかく走ってた。新しい道路ができたって聞いたら走りに行って。
―宿をはじめてからも乗れてますか?
外山
忙しくて乗れなくて…もう車検も切れちゃった。一応乗れる状態にはしているけど。
―じゃあ自由になる時間には何をしているんですか? お話を聞いていると野菜と料理の研究にだいぶ時間を割いていらっしゃるような気がしますが…。
外山
そういうのも自由な時間に組み入れちゃってる。
―要は好きなことってことなのかしら…(笑)。
外山
ひとつのテーマをめっちゃ深く掘り下げるタイプではあるね(笑)。
2020.1.7
文・市村雅代