「手に入る新鮮な魚を料理し
お客さんに出せるのが醍醐味」
旅人宿 待ちぼうけ
八下田義一(やげたよしかず)さん | 東京都出身。1985年宿開業。動物好きで子ども時代は犬やコイのほかセキセイインコやシジュウマツなどの鳥類を多数飼っていた。小学~中学では剣道に打ち込み、小学時代には地区の代表として日本武道館で戦った経験あり。いまでも毎年11月3日に行われる「全日本剣道選手権大会」は欠かさずテレビ観戦している。通称ゲタさん。 |
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時刻表を見て旅の計画を立てるのが好きで、小学生時代からひとりで本州を旅するようになる。中学1年生ではじめて北海道へ。以降、年2、3回のペースで訪れるようになる。大学時代のヘルパー経験をきっかけに、22歳で浦幌町の港町、厚内で宿を開業した。食卓には前浜で獲れた魚を様々に工夫して調理した料理が並ぶ。JRの駅から徒歩3分で帯広や釧路エリアの観光拠点としても便利な場所。営業期間は4月末~9月末。
大学の転部に悩む中、
ヘルパーをきっかけに宿の道へ
―出ました! 待ちぼうけ名物、「ファイヤー定食」!
ゲタ
はは。
―中身はすでにホイル焼きとして完成しているので、火はあくまで演出なんですね。これはいつからのメニューなんですか?
ゲタ
割と早い段階で出していました。元々実家でお客さんが来た時に似たようなことをやっていたんです。塩を敷いてそこにアルコールを含ませて火をつけているんです。ちょっと派手でしょう(笑)?
―家庭でやっていた料理とは驚きです! サービスの中で一番力を入れているのは夕食、とお聞きしましたが品数も多く、今日のメニューはサケをシュウマイやさつま揚げにしたものなど、手が込んでますね~。基本的にひとりで宿をやってらっしゃるので、品数が多いと大変じゃないですか?
ゲタ
昔定員25名だったころにひと夏ヘルパーさんなしで営業したことがあるんですけど、その時は大変すぎて記憶がないですね(笑)。でも、いまは宿泊者数も8名に絞ってますから。
―味噌やベーコンも手作りなんですよね。
ゲタ
夜のお茶の時間にお出ししているケーキも手作りですよ。お酒が飲めない人もおしゃべりに参加しやすいように作りはじめたんです。
―何がきっかけで宿をやることになったんですか?
ゲタ
宿でヘルパーをやったことですかね。昔から旅は好きだったんですけど、大学2年の時、北海道をまわっている最中に泊まったサロマ湖畔の宿でヘルパーをやらないかと言われて。ヘルパーなんて自分にはできないと思ったんですが「3日したら代わりが来るから」って。その時はひと月以上道内にいる予定だったんで、じゃあいいかなって。それで3日経って「帰ります」って言ったら、まだ代わりが来ないからもうちょっとって言われてずるずると…1か月。
―えー(笑)!
ゲタ
その時はまぁ「おもしろかった」で終わったんです。で、年が明けてからまたその宿に行ったんですよ。そのときも1か月くらい道内を旅する予定だったので、また戻ってくるよって言って戻ったらエプロンが用意されていました(笑)。それで結局5シーズン。それだけヘルパーとして働いたら宿の仕事がおもしろくなっちゃって。
―まんまとはまってしまいましたね(笑)。
ゲタ
実は当時、大学の学部を移るかでも悩んでいたんですよ。農学系の学部にいたんですけど、獣医学部に移りたかったんです。でも、学部を変わるにしても北海道に行ってばかりいたから単位が足りなくて(笑)。それで、もういいやって学校を辞めて宿をはじめたんです。
―それは何年生のときですか?
ゲタ
3年の終わりですね。宿をはじめたのは22歳の時です。
―資金はどうしたんですか?
ゲタ
転部のことを考えつつも宿をやりたいなという思いがあったので、かなり真剣にアルバイトをしていたんです。
―それで単位が足りなくなっちゃったんじゃないですか?
ゲタ
あはは。そうかもしれない。
―アルバイトは何をやっていたんですか?
ゲタ
時間的に一番多かったのは居酒屋のホールですね。一番お金になったのは東京都の公害条例に関する資格を使った手当です。当時条例が新しくできて、どんなに小さい町工場でも有資格者を置かないといけないことになったんです。大学の勉強もちょっと関係していたので、その資格を取ってあちこちで資格手当をもらっていました。何社か掛け持ちすれば…荒稼ぎです(笑)。でも数か月するとどこの会社も社員さんがその資格を取るので、あっという間にクビになりますけどね。だから荒稼ぎできたのは最初の1年くらいですよ。
ーそうやってお金もあったことで、22歳で宿を開業することになったんですね。
ゲタ
ヘルパーをしたせいで人生変わっちゃいましたね(笑)。
初ひとり旅は小学生!
ムツゴロウさんに憧れ中学で北海道へ
―北海道旅行中はどの辺をまわっていたんですか?
ゲタ
基本的に鉄道でまわれるところですね。免許を取れる年でないときから北海道に来ているので。初めて北海道に来たのは13歳の時です。
―東京からひとりで!?
ゲタ
本当は友達と5人で来る予定だったんですけど、2人はお金がない、2人は親が反対ということでひとりで来ました。
―すごいですね。鉄道が好きだったんですか?
ゲタ
鉄道は移動手段で…旅好きというか、親に旅に出されたんですね。ひとりでの旅は小学生のころからしてましたから。
―小学生で!?
ゲタ
僕、小学生の時は、時刻表を見て幻の旅の計画を立てるのが好きだったんですよ。何時の汽車に乗って何時にどこに着いて、どこに泊まってって。そういう計画を立てていると父親がおもしろがって、その土地の宿を予約してくれるようになったんです。
―えー!
ゲタ
○○っていうユースホステルを予約したからそこに行って来いって。
―かわいい子には…ですね。いい親御さんですね。
ゲタ
はい。父親には感謝しています。
―それは何年生くらいのときからですか?
ゲタ
4年生くらいですかね。3年生までは日帰りの旅でしたから。
―4年生って…10歳ですよね。
ゲタ
父も学生時代にはずいぶん旅行をしていたみたいなんですが、むちゃくちゃですよね(笑)。とても感謝していますが。
―小学生の時からひとりで旅をしていらして…。
ゲタ
中学に入ったら本州を出ていいという許可が出たので、じゃあって北海道行きを計画したんです。
―そういうことだったんですね。はじめての北海道旅行ではどこに行ったんですか?
ゲタ
昔から動物が大好きだったんですよね。雑誌のエッセイでムツゴロウさん(エッセイストの畑正憲氏)が北海道の東のほうの無人島に動物王国を作ったって聞いて、そこに行きたいと思っていたんです。浜中町の嶮暮帰島(けんぼっきとう)ですね。その島を遠くから見て満足して帰りました(笑)。
―目的が達せられてよかった(笑)。
ゲタ
はじめて行ったその時に、北海道に住みたい!と思いはじめたんだと思います。当時は牧場をやりたいと思っていました。
ーそうだったんですか!
ゲタ
でも高校生くらいになると、牧場は大変だって気が付いて農業試験場に勤めようと思ったんです。
ーそれで農学系の勉強をされていたんですね。
ゲタ
そうですね。
ー北海道で暮らすきっかけになった最初の旅では道内に何泊くらいしたんですか?
ゲタ
何泊だったっけな。ほとんど夜行列車を使って移動していました。
―宿には泊まらずに。
ゲタ
はい。そのころになると親も僕が旅行に出るのに慣れすぎちゃって、宿の予約はしてくれなくなって。旅の前にこっそりお小遣いをくれるのもおばあちゃんだけになっちゃったんです(笑)。
―でも中学生だからバイトもできませんしね…。
ゲタ
だからお小遣いをせっせとためていました。
―その初北海道旅行以降、北海道にはどれくらいの頻度で来るようになったんですか?
ゲタ
年に2、3回は来ていたんじゃないですか? でもお金がないから島には行けませんでしたね。フェリー代が出せなくて。中学、高校時代は宿なんか泊まれませんでしたよ。ほとんど夜行か駅前の軒下に寝袋を敷いて寝るか。同じ駅前で寝ていた大学生のお兄さんに「家出か?」って言われたこともあります。
―あはは。北海道では毎回違うところをまわっていたんですか?
ゲタ
当時は周遊券がありましたから、それで毎回違うところをまわっていました。でも結局1日の最後に北海道の端か札幌にいないと夜行に乗れないんですよ。だから、北海道の旅の後半になってくると、鉄道で移動しているだけになってました。例えば網走に朝着いたら、昼の間に釧路まで移動して、夜釧路から札幌に移動するっていう…。いま思うと何やってるんだ、お前はって(笑)。
―激しく移動してましたね。
ゲタ
激しく移動していただけです、あはは。何かを見に行くのも駅からあんまり離れているところへは行けませんでしたし。
ー中学1年生の北海道上陸以降、ほかのエリアへの旅は?
ゲタ
全然行けませんでしたね。
―それだけ北海道にしばしば来ていたらそうなりますよね。でもその分、道内には詳しくなったんじゃないですか? 宿をやる場所としてどうしてこの場所を選んだんですか?
ゲタ
どうしてだったんだろう(笑)。僕も当時の自分に聞いてみたいです。札幌から汽車で釧路方面に向かって来ると、厚内ではじめて海に出るんです。それで高校生の時に一度列車を降りてみたことはあったんですよね。その時にピンと来て…って言えばカッコいいんですけど特に何も感じませんでした(笑)。
―はは。
ゲタ
まさかそこに住むことになるとはね。
地域の人との出会いで土地を手に入れ
新鮮な魚が手に入る環境で開業
―じゃあ宿をはじめる場所はどう絞っていったんですか?
ゲタ
海のそばの小さな港町がいいなとは思っていたんですよ。魚が好きだから。
―海のそば、港町…結構ありますよ。
ゲタ
道東、中でも十勝川の河口周辺はいいなと思っていましたね。あとヘルパーをしていたサロマ湖の宿から1日で来られる場所。最初はなんのつてもありませんから、その宿に泊まった人がうちに来てくれるんじゃないかと。
―なるほど。この土地はどうやって手に入れたんですか?
ゲタ
知り合いなんかいませんでしたからね。最初は役場の観光課に顔を出していれば誰か紹介してくれるだろうと思ったんです。そうしたら観光課自体がなくて(笑)、いろいろな課にまわされながら1週間くらい役場に通い詰めたんですけど、あんまり進展がなくて。それで一旦東京に戻ろうと思って「出直してきます」って役場に言いに行ったんですよ。ちょうどお昼頃ですね。そうしたら、役場で町の男性に声をかけられて。「よく街の中を歩いているけど、どうしたんだ」って。
―場所を捜し歩いている姿を目撃されていたんですね。
ゲタ
東京から来て宿をやろうと思っているんだって話をしたら、その人、厚内の公民館の館長さんだったんです。それで「これから厚内に帰るから車に乗って行け」っていう話になって。厚内に着いたら公民館でちょっと待ってろって。3時くらいに漁師の親方を連れてきたんです。その親方も僕の顔を見て「あ、街で見たな」って(笑)。それでオレに任せろってなって、その日の夕方にはこの土地と、家を建ててくれる大工さんが決まってた。あはは。
―すごーい!
ゲタ
ついでに言うと、将来お前が結婚する時はオレが仲人するからって。仲人まで決まってた。
―あはは。
ゲタ
当然、結婚した時は仲人になっていただきました(笑)。
―1週間かけて決まらなかったことが半日で決まりましたね。この場所は…ひょっとすると「ノー」とは言えない状況だったのかもしれませんが(笑)、ゲタさん的にはどうだったんですか?
ゲタ
本当はこんなに街中ではないほうがよかったんですけど、街中をはずれるとほとんど農地なんで、100坪とか200坪の単位で分けてもらえないじゃないですか。当時はよくわかっていませんでしたけどね(笑)。街中のこの場所だけがちょうどポツンと空いていて。
ーJR厚内駅から徒歩3分で、公共交通機関を使っての旅人には助かる場所です!
ゲタ
何よりも、「東京からわざわざくるんだからみんなで応援してやろうぜ」ってみなさんが言ってくださって。
―いい方たちに、本当に「めぐり合った」という感じですね。
ゲタ
感謝しております。あれで運を使い切ったのかなぁ(笑)。
―ヘルパーを長くやっていらっしゃいましたが、開業に当たって誰かにアドバイスを受けたりしたんですか?
ゲタ
どうしたらいいかわからないことだらけだったんですが、あまりにも基本的なことばかりで。聞いたら「バカ!」って言われそうで誰にも相談できなかったですね(笑)。
―書類関係ですか?
ゲタ
書類関係は調べたらはじめて見る言葉ばっかり(笑)。そのあたりは役場の人にすごく助けてもらいました。…本当に何も知らないではじめましたね。
―何を「知らなかった」と気が付いたんですか?
ゲタ
料理ができないこと(笑)。
―えー? 今の充実ぶりからはちょっと信じられません。ヘルパーもやってらしたし。
ゲタ
ヘルパー時代は、言われていたことをやってるだけだった、と気が付きました。
―確かに! どうやって腕を磨いたんですか?
ゲタ
外食しておいしいものを食べたときに自分でも作れないかやってみたり。最初のころのお客さんには申し訳ないことしたなぁ(笑)。
―はは。それにしても22歳でよくやりましたね。
ゲタ
22歳だからできたんだと思います。もう少し知恵がついていたら、もっと放っておいてもお客さんが来そうなところでやると思うし(笑)。
ーはは。でも…そもそも宿名が「待ちぼうけ」ですからね(笑)。なんでこの宿名にしたんですか?
ゲタ
なぜなんでしょうね(笑)? 覚えていないんですよ。
―場所が決まってからこの名前にしたんですか?
ゲタ
はい、屋号を決めなくては、ということになって。冗談で韓非子(童謡「待ちぼうけ」の歌詞のベースになっている中国の思想書)から取ったとか言ってますが…(笑)。
ーでも穴場と言えば穴場ですよ。近くの原生花園は混雑知らずでのんびりできるし。この場所で宿をやる醍醐味ってなんですか?
ゲタ
新鮮な魚が豊富に手に入りますからね、それをお出しできることでしょうか。
ー港まで徒歩約5分のロケーションならではですね!
ゲタ
そうですね。お客様は連泊する人が多くて、みなさんのんびり過ごされています。
ー確かに、ここをベースに帯広・釧路方面に出かけるのもいいですが、アクティブに観光地をまわるというよりも、のーんびり過ごしたくなります。
ゲタ
僕たちものんびり生活しています。昔は宿をやめたらもっと便利な帯広あたりに住むかと嫁さんと話していたこともありますが、今は、宿をやめてもよそに移ることは考えてないですね。
2019.7.23
文・市村雅代