「相棒が抜けても宿を続けたのは
人との会話が好きだったから」
旅人の宿なかしべつ ミルクロード
鈴木靖さん | 三重県で生まれ兵庫県や奈良県などで育つ。中学時代から自転車で近隣を旅するようになり、大学時代に北海道へ。通ううちに北海道で暮らすことを考えるようになり、名古屋近郊でのサラリーマン時代を経て1988年に中標津町で宿を開業。開業後、趣味で調理師、ボイラー技士、冷凍機械責任者、危険物取扱者の資格を取得した。 |
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北海道旅行のためにアルバイトでお金をため、3年間北海道に通い詰めるという学生時代を送る。その後、道内の宿で知り合った仲間と宿を開くことになり、いつか北海道で暮らしたいという夢を実現。1年後に開業時の仲間が抜けた後も、夏の3か月間の営業をコンスタントに続けてきた。秘湯を探し出したり、うわさで聞いた絶景を探しあてたりと近隣の穴場を発掘する日々。営業期間は6月中旬~9月中旬。
北海道に行くためにお金をため
通い詰めた学生時代
―「ミルクロード」は6月中旬から9月中旬までと、営業期間が短い宿ですよね。
鈴木
お客さんの数も少ないと思います(笑)。
―よくやってますね…。
鈴木
よく言われます(笑)。
―そもそもどういうきっかけでここで宿をやることになったんですか?
鈴木
もともと中学高校時代から自転車でぶらぶらしていたんですよ。中学時代は大和郡山市(奈良県)に住んでいたので日帰りで京都のほうに行ったり、大阪行ったり。高校時代になると住んでいた尼崎市(兵庫県)から名古屋の祖父母の家に道中1泊して行ったり。
―その延長線上で北海道ですか?
鈴木
そうですね。北海道にも最終的には行きたいなと思っていて。学生時代しか長期の休みが取れないっていうのはわかっていたので、関西の大学に入ったときに、「夏休みにとりあえず北海道に行こうかな」「そのためにはお金をためないと」ということで大学1、2年でお金をためて3年のときに3か月北海道を旅しました。
―じゃあお金はかなりたまったんじゃないですか?
鈴木
たまりましたね、250万円くらいかな。
―すごい! アルバイトは何をしていたんですか?
鈴木
キーパンチャーです。データ入力。テンキーを1秒間に7、8個くらい打つのが標準だったんですけど、僕は1秒間に10個打てたんで最終的には時給1200円くらいまで上がりました。喫茶店のアルバイトが時給400円とか、450円の時代ですよ。毎月10万円ずつ貯金してました。ほんとにお金持ちでしたね、あのころは。ははは。
―じゃあそのお金を持って自転車で北海道に上陸したんですね。
鈴木
夏に3か月いて、文化祭のときと年末年始は2週間くらい。春休みに1か月くらい、GWにまた…それを3年生、4年生…5年生までやって(笑)、ためたお金をぜーんぶ使って。
―満喫しましたね。
鈴木
それで、関西から北海道に行くのは時間もお金もかかるからどうせなら住み着きたいって思ったんです。大学を卒業するときにこっちで仕事探そうかなとしたんですけど、北海道は基本的に給料が安くて。それで、名古屋近郊で就職しました。
―どんなお仕事だったんですか?
鈴木
スーパーの店員さんです。2、3年で辞めようと思ったんですけど、寝装インテリア売り場に配属されて仕事がおもしろくなってしまって。結局5年半いました。カーテンとかじゅうたんのことはさっぱりわからなくて売り上げは伸びなかったんですけど、当時から冬北海道に来るときはダウンジャケットを着ていたので羽毛布団の良さは知っていたんです。それで寝具の売り上げがどんどん伸びて。で、課長試験受けるかって話が出て来たんですけど、そんなもん受けてたら北海道に行かれへんやんって(笑)。辞めちゃいました。それで北海道に来たんです。
―北海道では何をしていたんですか?
鈴木
当時相棒がいたんです。北海道旅行中は基本的に落石(根室市)、藻散布(もちりっぷ・浜中町)、中標津町の宿をぐるぐる泊まり歩いていたんですけど、その落石の宿で知り合いになった人と一緒に宿をやろうということになって。
―泊まり歩いていたエリアのうちいずれかでの開業を考えていたんですか?
鈴木
僕は道東が好きだったんですけど太平洋側は霧が多いので、ちょっと内陸に入りたいなと思って。それで別海町とか中標津町がいいなぁ、だけど買い物とか考えると中標津かなって。大きいスーパーも数軒あるし、町立の大きい病院もある。空港もあるし。
―近隣の町村からも買い物に来る町だと聞いています。
鈴木
僕の北海道のイメージはひろーい牧草地、地平線、ジャガイモ。このあたりはそのイメージにもぴったりだったんですよね。それで2人で中標津の街中に部屋を借りて場所を探すことにしたんです。で、この場所を紹介されたんですけど…ここ僕が通っていた中標津の宿から約10キロ。車で10分かからない。それでオーナーさんに、近くて申し訳ないんですけど場所が見つかったので、宿をやってもいいですか?ってお伺いを立てに行って。
―そうしたら?
鈴木
しゃあないなぁって(笑)。オーナーさんには「宿をやりたい」っていう話をずっとしていたし、全然知らん奴が来るよりも、昔から知ってるお前ならって。
―よかったですね。
鈴木
ここ、地域の公民館だったんですよ。いまの談話室が元々あった部屋で、それ以外は増築しました。
―公民館だったにしては土地がかなり広いですね。
鈴木
そうですね。4800坪あります。道路がジグザグに走っていたところに幹線道路をまっすぐに引いたので二等辺三角形の土地が余ってしまって。それをこの辺の農家20軒で買い取って自分たちで建物を建てていたんです。町のものではなかったので僕たちに売ることができたんです。
―鈴木さんたちの資金は大丈夫だったんですか?
鈴木
まぁ2人のお金を合わせればなんとかなるかなって。借金なしではじめられました。いまだに借金はありません、貯金もないけど(笑)。
- ―いよいよ宿開業ですね。
鈴木
開業前に地元紙で紹介されたんですよ。これ。
ーすごい! 1面トップ(笑)。でも…「風来坊」っていう宿名になってますよ?
鈴木
最初はその名前で宿をやろうと思っていたんですけど、ほかの場所に同じ名前の宿ができちゃったのを知ってやーめたって(笑)。この辺は牛もいっぱいいるし、うちの前の道路は牛乳の集荷路線にもなってるから「ミルクロード」のほうがいいかなって。
―この風景の中だったら「ミルクロード」で正解だったと思います!
料理を担当していた相棒が抜け
試行錯誤した夕食
―いよいよ2人で宿をはじめられたわけですね。
鈴木
僕自身は料理ができなかったんですけど、相棒がケーキ職人だったので彼が料理を担当することになっていたんです…でも1年もたたずに彼が辞めちゃって(笑)。
―じゃあ食事はどうしたんですか?
鈴木
2年目からは毎晩ジンギスカンでした。野菜を切るだけなら、僕にもなんとかできるかなって。そのうち、魚がおろせればちゃんちゃん焼きもいけるってわかって。最初のうちは、三枚におろしたあとの魚の骨を犬にあげると大喜びするくらい身が残ってましたけど(笑)。そうこうするうちにラムしゃぶも簡単だよって教えてもらって、いまはラムしゃぶだけです。
―相棒が辞めることになったとき、宿をたたむことは考えなかったんですか?
鈴木
やめようかと思ったけど、北海道にはジンギスカンというものがあった(笑)。
―じゃあ料理の問題だけクリアできればひとりでもできるって思ったんですね?
鈴木
はい。最終的には調理師の免許も取りましたけどね。
―え! すごいじゃないですか。
―9月下旬から6月中旬のお休みの間は何をしているんですか?
鈴木
使っていない祖父母の家が名古屋にあるので、そこで冬眠しています。学生時代の友達と会ったり元同僚と飲みに行ったり温泉に行ったり。時間のあるときは朝から晩まで「スカパー!」で海外のドラマを見ています。
―じゃあ冬はそうやってのんびりして、夏はここで宿業を頑張る、と。
鈴木
まぁここでも同じようなものですけどね(笑)。民宿をはじめてからずっと冬は出稼ぎに行っていたんです。本州で車や電気部品をつくったり。
―その流れでいまも冬は閉めているんですか?
鈴木
はい。開所は12月24日なんですが、開所以来オープン記念をしたことがないし、僕も別れた妻も子どもたちもみんな早生まれなんですが、その誕生日にいられたことがない。
―そうなっちゃいますよね。一緒に宿をはじめた仲間が去り、冬は家族と別れて出稼ぎに行く生活でも宿を続けてきたのはどうしてなんですか?
鈴木
やっぱり人との会話が好きなんでしょうね。そろそろ民宿をやめることも考えてますが…実は宿をはじめてから北海道旅行をしていないんですよ。僕が道内を旅行をしていたときは、まだ富良野エリアのラベンダーがいまほど大々的に栽培されていなくて。1回くらい自分の目でたくさんラベンダーが咲いている景色を見てみたいですね。実はうちでも10株くらい買ってきて植えたことがあるんです。でも土が合わなかったのかな。日光が足りないのかな。すぐに枯れちゃって。
―鈴木さんはお花が好きでよく近隣に見に行っているとお聞きしましたが、いつからお花に興味を持つようになったんですか?
鈴木
北海道をまわっているときによく行った落石あたりは高山植物の宝庫なんですよ。それで興味を持つようになりました。いまでも月に2回くらいは落石のほうに花を見に行っています。
―中標津周辺にはお花を見る場所はあるんですか?
鈴木
太平洋の海岸沿いなんかは名前のついていない原生花園ですからね。名前が付くと旅行者は行くけど、名前がついていないから誰も行かへん(笑)。だから本当に「原生」花園。2週間おきくらいに行くと花が入れ替わっている。
―わぁいいですね。住んでいるからこそのぜいたくですね。
秘湯に、人知れずの絶景…。
穴場情報は自分の足で
―この辺の秘湯にも詳しいとお聞きしました。
鈴木
とっても詳しいです。
―それは誰かに聞いたりして、探しに行っているんですか?
鈴木
聞いたのもあるし、自分で探したのもあるし。古い地図には温泉マークがついているのに新しい地図にはマークがないところは探しに行きますよ。
―そうすると…。
鈴木
あったりします。昔の温泉ってポンプでくみ上げてなくて基本的に自噴なんですよ。だから大体の場合は、そのまま湧き出ています。…この地図を見ると、川北温泉(標津町)のちょっと先に「湯ノ沢」ってあるでしょ。
―ありますね。
鈴木
最近の地図を見ると温泉マークが消えているんですよ。この山のこっちから行ったらええのか、反対側から行ったらええのか…。
ー温泉を探しに行くときはシャベルをもっていって自分が浸かるスペースを掘って入るんですか?
鈴木
そうですね。
―そういう秘湯巡りだと、大変な思いをしてお風呂に入って、また大変な思いをして帰ってくるんですよね?
鈴木
それはあんまりないですね。大体の場合はトラックにオフロードバイクを積んでいくので。歩くのは最後のちょっとだけ。でも最後の最後は歩かないと探せないですね。匂いとかお湯の温度とか。山の中で温泉を探しているとクマのにおいがしてきて諦めることもありますけどね。
ー北海道での秘湯探しにあり得るリスクですね。
鈴木
いまは途中の道が崩落してしまって行けなくなっていますが、大岩の湯舟で有名な薫別温泉(標津町)は行ったことありますか? そこ自体も秘湯なんですが、ちょっと上流に川底から自然に湧き出ているところが、僕が知っているだけで3か所あります。
ー鈴木さんにとって、この辺で一番の温泉はどこですか?
鈴木
僕は川北温泉が一番好きですね。男女別の無料露天風呂。硫黄泉と食塩泉が混じってる。なめるとしょっぱくて、においが硫黄。あと川湯温泉(弟子屈町)の公衆浴場かな。熱いお湯が好きっていうのと、やっぱりいいお湯。硫黄泉のあの匂いが好きですね。
ー穴場を探すのも得意とのことですが…。
鈴木
開陽台は標高270mなんだけど僕が知っているところは550mでほぼ倍の高さ。直線距離で100キロの納沙布岬まで見えます。神の子池(清里町)も有名になる前に、きれいな池があるって聞いて、近所の人と探しに行った。正確な場所がわからなかったけど摩周湖の水が湧き出てできた池っていうのは聞いていたので裏摩周から1本ずつ林道に入って。何本目かで見つけました。
―おぉ! 文字通り足で稼いだ情報ですね。
鈴木
見つけた後はお客さんにも教えてあげましたが、教える時は「もし気に入ったら誰にも紹介するな」って言っていたんです。あんな静かでいいところに観光バスが来たら…と考えてみてって話して。
―でも気に入ったら人には話しちゃいますよね…。
鈴木
だんだん有名になって、それから何年かして入口に看板が立つようになりました。
―いまは目の前まで車で行けるようになってますしね。こういう探検的なことは昔から好きだったんですか?
鈴木
そうですね。人が知らないようなところを探すのが好きですね。旅をしていたときも連泊していると宿の人と仲良くなるから「どっかええとこないの?」って聞き出したりして。…さっき話した川北温泉の上流に砂金川っていうのがあるんですよ。
―おお、砂金が取れるのか?
鈴木
で、ここに金山(カナヤマ)ってある(ニヤリ)。
―…金!? 地名もけっこうヒントになるんですね。なんかギラギラしてきちゃいます(笑)!
鈴木
しゃべれないけど、ほかにもいい場所がいくつかあるんですよ。
ーせっかくの場所を不特定多数の人に荒らされれるのはいやですが、いい場所を公表できないのももったいない!
鈴木
民宿をやめるときにまとめて発表したいと思います(笑)。
2019.6.11
文・市村雅代