「南十勝のいいところを
みんなに伝えたい」
南十勝 セキレイ舘
湯川政樹さん | 岡山県出身。1997年、前のオーナーから宿を購入し「セキレイ舘」2代目宿主になる。呼び名の「じへい」は、はじめてセキレイ舘に泊まった時に前のオーナーからつけられた「北海道ネーム」。由来は…「泊まってくれた人に教えましょう!」とのこと。妻の順子さんとはセキレイ舘が縁で結婚。代替わりした後も資金調達のため本州で働いていたため、ヘルパーが運営している宿だと言われていた。 |
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バイク旅をきっかけに、地元の岡山で仕事をしては北海道に行くという生活を10年ほどしている中で先代セキレイ舘の常連客に。放浪生活を卒業し約2年トラックの運転手として働いていたが、宿を売却する予定だと聞き購入を決意した。周辺にはホロカヤントーなどの自然豊かな沼や原生花園が点在する。南十勝エリアの魅力をどう広く伝えるか考える日々。人気のバイク林道ツアーは初心者歓迎。宿の営業期間は4月27日~10月初旬。
オロロンラインの写真に衝撃を受け
オフロードバイクで北海道へ
―じへいさんは「セキレイ舘」の2代目の宿主ですよね。もともとはバイクで旅をしていたそうですが。
じへい
仮面ライダー世代なので16歳ですぐに免許を取って、地元岡山の周辺の中国地方とか四国とかをまわっていたんです。19歳の時に、読んでいたバイク雑誌の北海道特集に砂利の真っすぐな道とちょっとした丘、そして利尻島が写っている写真があって。
―日本海オロロンラインですね。
じへい
それを見た瞬間、「バン」って雷に打たれた感じですよ。「これは行こう!」と思ったんです。それで勤めていた会社の社長に「辞めます」って言って。
―え! 会社辞めちゃったんですか?
じへい
辞めちゃいました。北海道に行くんだからってオフロードバイクも買って。中学を卒業してすぐに働きはじめて、ほとんど遊んだことなかったんですけどね。1か月分の給料をポケットに入れて。母親に別れを告げて。
―今生の別れになっちゃってますけど。
じへい
かなり決死の覚悟で来ました(笑)。すごいワンダーランドが待ってるかもしれないし、途中でクマに食われてしまうかもって。
ーはは。
じへい
フェリーで早朝に小樽に着いてすぐに北に向かったんですが、寄るつもりのなかった札幌に知らないうちに入ってて。岡山って国道がほぼ直線なんですけど札幌に入ると90度に曲がってたりするじゃないですか。それでひどい目にあった(笑)。野っぱらにいる時は自分の位置がわかるんですけど街中に入ると急にわからなくなっちゃう。それで旭川に着いたのがなぜか午後3時ころ。
―普通だったら3時間くらいで着きますよね(笑)?
じへい
河原のキャンプ場のようなところで夜を明かしたんですが、野良犬は出てくるし、カラスは何万羽いるんだっていうくらい飛んでるし。「北海道はこわいところじゃなぁ」って。
ーはは。とりあえず北上したんですね。
じへい
写真の道に行くにはまだ道がつながっていない部分があったので、1回豊富まで行ってから海岸線を天塩あたりまで南下して、改めてそこから全開にしてガーって北に向かって走って。また次の日もそこを走りに行って。
―同じところを?
じへい
とにかく雑誌で見た道を走ることしか頭になかった。いま行くとプロペラがいっぱい回ってますけど、当時は電線もなくて稚内市の抜海まで砂利道でした。走っていくと遠くに見えていた利尻がどんどんでっかくなっていくのがすごくおもしろくて。こんなおもしろいところが世の中にあったんだって。…いま思えば「非日常感覚」ってやつだったんだと思います。岡山では砂利道を走ることなんかなかったから。
―砂利道をがたがた走るのが楽しかったんですか?
じへい
自然の地形に合わせて道がつくられていて「地球」を走っている気になっちゃって。全身土まみれで、毎日げらげら笑いながら走ってました。
―いいですね!
じへい
人見知りで全然人と話せない人間だったんですけど、次にどこに行こうかってなったとき、人に聞かないといけないじゃないですか。それでちょっとずつ話せるようになったかな。
―おすすめどこですか?とか?
じへい
どこかいい砂利道ありませんか?って(笑)。砂利道に行くために仕方なく観光地を通る感じで、マイナーなところマイナーなところを走りまくってました。
―どのくらい北海道にいたんですか?
じへい
2週間くらいですね。
ー楽しみ尽くして…。
じへい
岡山に帰ったら勤めていた会社から電話がかかってきて、また働かないかって。じゃあお世話になりますって。そんな感じで10年くらいは岡山で働いて北海道に行ってっていう感じでした。
―セキレイ舘との出会いも北海道を旅行中ですよね?
じへい
2回目に北海道に行った時ですね。1回目からちょうど1年後くらいじゃなかったかな。オロロンラインにまた行ってから十勝に寄ったんだけど、台風が来て黄金道路(国道336号)が通行止めになっていたんですよ。そこで前の年に別の宿でチラシを見たセキレイ舘のことを思い出して電話して。それがはじまりです。
―そうだったんですか。
じへい
なかなか道路が通れるようにならなくて連泊するうちに、前の宿主さんもバイクに乗る人だったんで、林道をバイクで案内するよって言われて。そうしたら、いままで走ってきたのとはかなり違う林道が待っていて。
―どう違ったんですか?
じへい
普通の林道はだいたい砂利道なんですけど、この時行った林道は木を切り出すための作業道でほぼ泥。そこが台風の雨でずるずるになっていたんです。そこを泊まり合わせた人たちも飛ぶように走られてて。
―はは。
じへい
みなさん大会とかも出ているようだったんだけど、僕はただのツーリングライダーだから、途中ですっころぶはで大変な目に。で林道をつないで、つないで行ったら目の前に太平洋がドンって見えた。…インパクト強かったですね。帰ってからもその景色が頭から離れなかったです。それで次の年も行くようになったんです。…というかその前に、その旅の間にもう1回宿に戻ってきちゃったんですけど。
―はは、そうでしたか。
じへい
今度はひとりで地図を見ながら周辺を走りに行ったんですけど、海の近くの道は自然の地形に合わせた道の作り方をしているんで、すごくおもしろくて。海水と淡水が混じっている汽水湖、オイカマナイトウとかを見に行っているうちに、このあたりの景色ごと、雰囲気ごと大好きになっちゃいまして。
―いわゆる「十勝」のイメージとはまた違った雄大さがありますよね。
じへい
「ここに来たらここに行きなさいよ」っていうのが一切なくて。自分で好きな景色を探して、「ここいいなぁ」と思ったらそこでぼーっと景色を眺めていたり。
―それで仕事をしては北海道に来るという生活になるんですね?
じへい
そうですね。1回日本一周しましたけど。四国、九州、沖縄に行って再び九州を抜けたらもう北海道のことしか頭になかったです(笑)。
―日本一周というか、もはや北海道に行くための道中ですね。
じへい
その後、3か月くらいセキレイ舘のお手伝いをしたこともあったし、1回帯広に住んでみたこともあったんです。そのときは自転車屋さんで見習いをしていました。でも暮らしていけなくて。当時29歳だったんですけど、貯金通帳見たら残高100円ですよ、100円! 30歳前の男が!
―ははは。
じへい
これはまずいと思って。また岡山に帰って働いて。そんな感じで30歳くらいまでは放浪していました。
バイクレースで燃え尽きたところに
セキレイ舘閉所のニュースが
じへい
実は28歳くらいのときに国内のバイクの耐久レースにずっと出ていたんです。で、メキシコで開催される長距離でハイスピードのオフロードレース、バハ1000に出ようって、2年くらいそのことばかり考えて頑張ってた時期があったんです。
ーツーリングライダーから競技のほうに。
じへい
そのメキシコのレースにも実際に出て完走して。
―すごいじゃないですか!
じへい
完走した後は満足感しかなくて…。楽しかったんですけど悔しさがなかったことで、「やっぱりオレはツーリングライダーなんだ」って気が付いちゃいまして。次の年も行きたいとは思わなくて、心にぽっかり穴が開いちゃったんですよね。それで次どうしよかなってずっと悩んでました。その穴は埋めようがなくて。
―結構つらいですよね、そういう状況は。
じへい
30歳超えて放浪していてはダメだ、このままでは何者にもならないと思ったこともあって大型自動車免許を取ったんです。やっぱり資格でしょって。30になって気づくなって話ですけど(笑)。そこから2年くらいは真面目にタンクローリーの運転のお仕事をしていました。
―放浪時代とはだいぶ生活が変わりましたね。
じへい
しばらくバイクのレースからも遠ざかっていたんですけど、ある日、本屋さんでバイクの本を手に取ったら、ライダーがバイクで川に飛び込む寸前の写真が出て「あーオレも真剣にやってたなぁ」って思い出して。それで久しぶりにレースに出たいなと思ってセキレイ舘に電話したんです。そうしたら当時ヘルパーをしていたいまのカミさんが電話に出て「セキレイ舘、もう宿をやめるよ」って。
―そこで聞いたんですね。
じへい
じゃあ行かなきゃって。実は2年間真面目に働いているうちにお金がたまってて。どうしようかなって考えて翌年にはアメリカに行く予定を立てていたんです。大陸横断でもしようかって。僕ら世代って、子どものころに見たアメリカのドラマにすごく影響を受けているんで。
―その旅行前に、とりあえずセキレイ舘に行ったんですね。
じへい
前の宿主さんといろいろ話をして。もう建物を売る人は決まってるの?って聞いたら、一応決まっているけど、お前がやりたいんだったらやってもいいよって。じゃあ1週間待ってくださいって言って、1週間毎日ビールを4ℓくらい空けながら考えて。
―はは。
じへい
ばかが本気で考えるとね、頭がぐるんぐるん回って全然酔っぱらわないんですよ(笑)。ヘルパーをやってたカミさんがカウンターの向こうから「じへいさんも知ってると思うけど、やっていけないよ?」って言うし。
順子
前の宿主さんも宿業以外にオフロードバイクの用品を売ったりして暮らしてましたから。
じへい
僕も宿を手伝ったことがあったから「やっていけないわなぁ」って。でも手伝ったときに「宿をやりたいな」とは思っていたんです。
ー人と会話するのが苦手だったのに?
じへい
楽しかったんですよ。
ーそうだったんですね。
じへい
しかも手元にはお金があった。貧乏人が大金を持つとロクなことがないってこのことですよ(笑)。
―旅行資金が…。
じへい
悩んでいても一歩も進まないから、やってみよう!って。だめだったらやめちまえばいい。それで命取られるわけでもないんだしって。
―それで2代目宿主になることに。
順子
衝動買いした感じですよね。
―衝動買いにもほどがありますね(笑)。
順子
家を普通1週間で買うかって。
じへい
だってしょうがいないじゃん、ばかなんだもん(笑)。
―あはは。
じへい
その時に手付金も払っちゃって。
―お金がもし手元になかったらそうはいかなかったでしょうね。
じへい
冷静になれ、と言いたいですね(笑)。バイクとかいくらでも買えたのに…オレなんであのお金使わなかったんだろう。でも宿を買うには全然足りてなかったので、また岡山に帰ってトラックに乗ることになったんです。その後もちょこちょこ出稼ぎに行ったりして。足りない分はカミさんに借りて…全然返してないけど(笑)。
―順子さんは、じへいさんが宿主になる前からここで働いていたんですよね?
順子
じへいさんのほうが先に泊まりには来ていたんですけど、会ったことはなかったんです。
―順子さんは自転車旅ですよね?
順子
国鉄の周遊券を使ってはじめて北海道に来た時に、ユースホステルで同室になった子が自転車で来ていて、これならバスとか待たなくていいやって。翌年には自転車を買って北海道に来るようになって。この2回目の時にセキレイ舘に泊まったんだけど、天気が悪くて連泊していたら、別のお客さんと前の宿主がモトクロスコースに行くから一緒に行かないかって。免許がなくても乗れるところだからって行ってみたら…おもしろくて!
―はは。
順子
おもしろかったから連泊して。そのうちになぜかバイクの免許を帯広の教習所で取ることになって。
じへい
普通旅先で免許取らないでしょ。
順子
ちなみ私、免許を取るために住所をここに移しました(笑)。
―あはは。
順子
翌年オフロードバイクを買って、そのバイクを見せにまたセキレイ舘に来て。1か月後にレースがあるからみんなでそれに出ようぜってことになって。バイクに乗りはじめて1か月でレースに出てしまったんです。
―すごい!
順子
そしたらレースで水没したんです(笑)。50キロを3周して3時間以内に帰ってくれば完走っていうレースだったんですけど、川で水没して。ほかの選手に助けてもらってエンジンかけるのに小一時間かかったんですけど、結果は30分遅れだったんですよ。あれ、これ水没してなかったら完走じゃん、これは来年完走しなきゃっていう感じでレースにはまってしまったんです。
―なるほど(笑)。
順子
それからは、冬は大阪に戻ってバイトをしてお金をためて、夏になったらここに来てレースに出る、みたいな生活を10年くらいしていたのかな。じへいさんのことは変な奴がいるってうわさでしか聞いたことがなかったんだけど(笑)、じへいさんが帯広に住んでたときにはじめて会ったんです。
じへい
目立ちもしないしゃべりもしないやつが岡山ナンバーの軽トラで帯広とここを行ったり来たりしていたころ(笑)。
―そうやってそれぞれがセキレイ舘と関わりを持っていったんですね。でも…順子さんは「暮らしていけないよ?」って止めた職業に就いた人とよく結婚しましたね。
順子
前の宿主さんから宿と一緒に売られちゃったんです(笑)。
じへい
ヘルパーさんもつけとくから、って(笑)。…いやいや、僕が頼んだんです。宿を手伝ったことはあったけど、料理ができなかったので、よろしくって。ひとりでやるの大変なんでお願しますって。僕も頑張るんでって。
―っていう話がイコール結婚しましょうってことだったんですか?
順子
前の宿主がちょっと(ドラえもんの)ジャイアンっぽいというか兄貴肌の人で「独身の2人が一緒に宿の仕事をしていたらくっつくに決まってるだろ、先に結婚しろ」みたいなことを言ってきて。
じへい
乱暴すぎますよね。
―あはは。
じへい
それを聞くほうも聞くほうだけど(笑)。
―じゃあおつきあいしてなかったんですか?
順子
つきあおうかな?ぐらいの時だよね。
―そうやって2人で宿をやることになって。
じへい
僕はタンクローリーに乗って資金を調達していたので、代替わりした1997年はほぼいなくて。
順子
4月27日の開所式にはじへいさんは来たんですけど、また岡山に戻って私がひと夏ひとりでやっていたんですよ。代替わりしたからってお客さんが泊まりに来ても、新しい宿主がいない(笑)。当時のお客さんの旅行記に「ヘルパーさんがやってる不思議な宿」って書いてあったよね。
―あはは。宿の名前を変えようとは思わなかったんですか?
じへい
前の宿主は変えたほうがいいって言ったんですけど。セキレイ舘が好きでここに来ていたので、わざわざ変えることもないでしょうっていうことで変えなかったんです。
―それから22年ですね。
じへい
前の宿主が82年にこの宿をはじめて、僕は97年から。いつの間にか前の宿主さんの年数を追い抜いちゃいました。
南十勝に眠る魅力を
多くの人に知ってほしい!
―十勝エリアのとほ宿で自転車旅を応援する「十勝を走ろう! 自転車十勝!」の取り組みをされていますが、順子さん自身も現役チャリダーですよね。
順子
バイクではオートバイトライアルに出ていますが、旅に出るのは自転車なんです。北海道に行くために自転車を買ってからですね。当時は北海道行きの練習ということで山の上にあった大学まで家から23キロ自転車で通っていました。
じへい
リムジンで来るような同級生ばっかりの中。
順子
いやみんなスクールバスだから。
じへい
最近セキレイ舘にも外国人旅行者が来ることがあって。しかも事前予約なしでいきなり宿の前に立ってるんですよ。泊まるの?って聞いて英語でわーって返されるようなときは、カミさんにお願いして。一応留学もされているんで…。
順子
留学じゃなくて遊学ね。
―遊学…お嬢様感が漂ってますね…。
じへい
僕がアメリカにあこがれていた18歳の時に、すでにアメリカでポップコーン食ってましたから!
順子
アメリカは夏休み中の夏期講習みたいなので行ったんです。遊学先はオーストリアでした。
―オーストリアということは音楽関係ですか?
順子
姉が音楽留学していたのでそのうちの1年遊びに行ってたんです。姉の小間使いをしに行ったようなもんですよ。
じへい
生まれて初めてスキーをしたのはスイスらしいですよ。
順子
違うよ、オーストリアアルプス。
じへい
俺はじめてスキーしたの、(隣町、幕別町の)忠類のスキー場…。
―あはは。
じへい
カミさんはスキーやらせりゃうまいし、バイクも速いし。
―そうなんですね。
じへい
バイクはトロフィーいっぱい持ってるんですよ。すっごく速くて、僕は正々堂々と勝負ができない(笑)。いまカミさんは手首の調子が悪いので、やっと僕も追いつけるくらいです。あはは。
―多才ですね~。
じへい
だから、おもしろいのは宿主じゃなくてカミさんのほうだって。台所にいることが多くてなかなかお客さんのところには出て来れないんだけど。
―夜のお茶の時間はどうですか?
じへい
カミさんは朝食の下ごしらえをしているから僕が飲み物の用意をして、あとはお好きにどうぞって。眠い人は寝てくださいって。
順子
そのあとはじへいさんの与太話。
じへい
はじめて来た人にはいろいろ説明してますよ! トーチカが並んでいるからこの道いいよ、とか。ここは交通量がそんなに多くないから自転車旅の人にはいいんじゃない?とか。タンチョウはこの辺にいますよ…とかっていう説明をした後は与太話(笑)。
―この辺りはきれいな沼があったり、原生花園が多かったり、あまり知られていませんが、見どころが結構ありますよね。
じへい
南十勝の海岸線はガイドブックには一切載らないところなんで。
―実は私もはじめてオイカマナイトウに行きましたけど、まさか十勝で海岸線に接した自然の景色が見られるとは思いませんでした。
じへい
地元の人は大しておもしろくもないって言う景色がすごいものだったりするんです。湧洞沼が鏡みたいに見えたときはきれいすぎて写真を撮るのを忘れていたくらい。こういうところをまとめて紹介する仕組みがあればいいんですけどね…。
―一般のお客さまは南十勝と言われても、イメージがわきづらいのかもしれません。
じへい
ガイドブックで言えば、最近は帯広周辺から中札内村までは載るようになってきたからもう少しなんだけど。南十勝もおもしろいよって言いたいです。…ただね一般的ではない。以前、植物にとても詳しい人と花好きな人が泊まり合わせて。ほぼ同じコースを歩いて帰って来られて。花好きな人はまだあまり花が咲いてないですね、って言ってたんですけど、植物に詳しい人は20種類以上咲いてました!って。同じところで同じ景色を見ているんですけど、着眼点が違うというか。物の見方で印象が違うんですよね。
順子
この辺は原生花園なんで、いろんな花がぽつぽつ咲いているんですよ。でも花が咲いているというとラベンダー畑とかチューリップが一面に咲いているとか、そういうイメージみたいですね。それからすると、この辺では「何も咲いていない」になっちゃうんだろうね。
―なるほど…。じゃあじへいさんと順子さんは、いまのお話に例えると、その植物に詳しい人のような見方でこの地域のことを見ているわけですね。
じへい
細かいところを紹介したり、視点変えてみるのもいいかなとか。この辺は丘があるのでホロカヤントーとか湧洞沼も沼全体が見える。そういうのもこの地域ならではの景色だと思っています。
―そうですね。
順子
夜もそうやっていろいろしゃべってるんです。しゃべれなかったって言うのが信じられない(笑)。
じへい
いいところはみんなに見てもらいたいからね(笑)。知ってることはみんなに伝えないと。いましか見られないものがここにありますよっていうのを伝えたいんです。
2019.5.14
文・市村雅代